人付き合いがよく似てるのは、授業参観に両親が来たときのあの感覚

初対面の人に会う機会が、ぼちぼちある。

僕は初対面の人に会うのは、わりと嫌いじゃない。

むしろ、新鮮だし楽しいと思う方だ。

 

ただ、初対面からいきなり人と仲良くなれるタイプではない。

ある程度は相手を知ることができても、どうしても”どこまで突っ込んでいいのか”が分からないからだ。

 

それと、特に初対面の人に対しては、僕は人柄をかなり用心深く探るタイプなんだと最近思った。

相手がどんな人なのかを深くは理解できない分、パッと相手のタイプをなんとなくの感覚で判断してからは、それぞれの人に合わせた自分のキャラクターで向き合う。

 

そうやって最近あった初対面の機会に出てきた自分のキャラクターが、普段の自分とはあまりにもかけ離れていて、なんか結構疲れた。

 

普段はわりと声も大きくてガサツな気もしているけど、そのときの僕は大人しくて、自分で言うのもアレだけど、そこそこの好青年だった。

「アッハッハ」みたいな笑い方をする普段に対して、「ふふっ」くらいの、ささやかな笑い方をする好青年。

 

そういう自分で接すると、当たり前だけどそういう人だと思われる訳だから、正直2回目に会うのはもういいやって思っちゃったりする。

普段の自分を出せないのは疲れるし、そもそも偽った(?) 自分が出てきた時点で、その人とは心の底からは仲良くなれそうな気がしないからだ。

 

そうやって思うと、これまで友達ってどうやって作ってきたんだろうと思う。

長年の付き合いがある友達とは当たり前に仲がいいし、色々と自分の話もできる。

目の前で鼻毛を抜いたりできる友達がいるのは、なんだかありがたいことだなって改めて思う。

 

思えば僕は、初対面の場合はそれが顕著に出るだけで、そもそも普段から相手に合わせて自分のキャラクターを変えている。

その場での立ち振る舞いとして、いちばん適切であろうキャラクターの自分でそこにいる。

 

正直、その場が面白い場になるなら、わりと何でもいいのかもしれない。

だから深い付き合いをできる人って少なくて、僕がそれをやっていること自体を見透かしている、感覚の似たごく少数の人だけになる。

 

なんて書いてきたけど、そうやって人と接するのが当たり前だとも、変だとも思ってるのって僕だけじゃなくて、ごく自然な人と接するにあたってのマナーなのかな。

 

それをやっていることは、バレる人にはバレる。

バレていることが、自分でもわかる。

 

こういうことをやってるから、決まって初対面の人とはそこまで深くは仲良くなれない。

良くも悪くもない印象を与えて、その人にとっての「なんとなくその場にいた奴」になる。

 

だから、初対面から相手と仲良くなれる人を見ると、すごいなと思う。

少し前に、まさにそういう特性を持った友達と一緒に、初対面の女の子に会う機会があった。

 

僕から見た初対面のその人は、「どこか抜けてる天然タイプだけど、純粋で根っからのいい奴」だった。

僕はその人が持っている二宮和也への愛ゆえのエピソードに、シンプルに興味を持って20分くらい聞き続けていた。

 

対して友達は初対面ながらも「お前、学がないのがバレてるぞ」みたいな、僕からすれば10年来の友達にも滅多に言わないようなイジリを連発してた。

 

内心、この人なかなかピュアそうに見えるから、そこまで言って大丈夫なのかなって、ちょっと心配になる瞬間もあった。

けど、解散するときになって、その子といちばん仲良くなってたのは、やっぱりイジリまくっていた友達だった。

それはもう、初対面とは思えないくらいの距離感で、完全に仲のいい友達って感じだった。

 

後日、その友達に会ったときに、あのとき僕が内心、ヒヤヒヤしていた話をした。

対して友達は「もちろん相手を見た上での、これくらいならいけるだろうっていうイジリだったよ」とのことだった。

 

実際、それで仲良くなってるところを見れば、シンプルに僕の観察力が足りなかっただけなんだな、と思った。

根本的に僕は人をイジれるような度量は持ってないしタイプでもないので、その立場に立つことがないゆえに、そういう視点で見てない可能性すらあった。

けど、それは言い訳に過ぎない気もする。

 

こうやって初対面の人と距離を詰められない話を、他にも何人かにしてみると、まずは最初にこっちから開示した方がいいんじゃない、って話にもなる。

人と仲良くなりたいなら、まずは自分から心を開くこと、なんて話を聞くけど、まさにそれ。

 

最初に普段の自分を開示してしまう。

そうやってフルマックスでいけば、気が合う人とはすぐに仲良くなれる。

仲良くなれなかった人とはそれまで、っていうシンプルな話。

 

それができればいいんだけど、ここでも自分の人生において色んなところで出てくる「失敗するのが怖い」とか「嫌われるのが怖い」っていうキーワードが出てくる。

これを克服するのは、もはや今後の人生において最大の課題だって、どんな話でも突き詰めると出てくるからそう思う。

 

人付き合いの話に戻るけど、僕もこれまで26年も生きてきた訳で、友達も少ないながらに何人かはいる。

さっきも書いたみたいに、僕は相手に応じて自分のキャラクターを、そこに合った形で変えてることも自覚してる。

 

それゆえAという場所で知り合った友達と、Bという場所で知り合った友達が、偶然にも同じ場所に居合わせたりしたとき、正直どうしていいのかちょっと分からなくなる。

Aで知り合った友達からすれば、僕は猫を被ってるかもしれないし、Bで知り合った友達からすれば「こんなに喋る奴だったっけ?」かもしれない。

 

今までこういうことは、一応相手のことを考えた上での、僕なりの配慮なのかなって思って、ほとんど癖のような感覚でやってきた。

でも、いよいよどれが自分らしい自分なのかが、ちょっと分からなくなってきて気持ち悪くもある。

 

この感覚って昔もどっかで味わったことがあるなと思ったら、授業参観に両親が来たときの感覚だった。

学校でのはしゃぐ自分と、家でのそこまで口数の多くない自分。

そのどっちで振舞えばいいのか、バランスの取り方が分からなくなって混乱しながらも、友達に対して心の中で「今日だけはいつもの感じ、やめてくれ」って思ってるアレ。

 

思えば僕はそのギャップがずっとあったからなのか、友達を家に入れることも少なかった。

友達の家に行ったとき、友達がそのお母さんと接しながらも、学校で見る姿とさほど変わらないところを見て、不思議な感覚を抱いていたことをよく覚えてる。

 

僕としては相手によって自分のキャラクターを変えているのは、僕なりの配慮な気もするけど、これをやっている方が少数なのか。

授業参観に両親が来てもモヤモヤしない人の方が、実は世の中には多いのか。けっこう気になる。

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岩橋康太 / タワー

岩橋康太 / タワー

就職浪人からファッションブロガーに華麗なる転身を果たすも、Youtube、instagram等の新しいSNSの流れに乗り切れずジリ貧に。
2020年再起をかけて、代官山のセレクトショップ SAMVAスタッフ、ファッションブランド STOF営業見習い、ファッションブロガーの三足のわらじを履き直した26才。よろしくどうぞ。
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