アユニ・Dのフォトブックを読んでみたら、なんだか悔しくなった

最近、BiSHに興味を持っています。

少し前に職場で、社長がよく流していた時期があって、すごくいい曲が多いなと思っていました。

 

曲をきっかけにメンバーのことを知っていくと、僕は特にアユニ・Dさんに興味を持っていました。

どのメンバーも、いわゆるアイドル像とはかけ離れているんだけど、アユニ・Dさんの、どことなく影がある雰囲気に惹かれました。

 

人には見せない一面を、自分の内側に強く持っていそうな人に対しては、どうしても「この人は、普段どんなことを考えているんだろう」とか、気になってしまいます。

僕の場合、これまでに同じ感覚を抱いたのはピース又吉さん、坂本慎太郎さん、呂布カルマさん、紗倉まなさんでした。

 

その影の裏に潜むものが気になったり、勝手に共感を抱いたりして、その人がこれまでの人生で経験したことや影響を受けた音楽や映画、アート作品なんかが気になります。

そこから自分にとっても新しい経験があるのも楽しくて、かつ勝手に共感を抱いている分、どことなくその人が好きなものは好きになりやすい傾向にあるのも刺激的。

 

インタビュー本なんかは読まずにはいられないのですが、そうして買ったフォトブックを読んでみると、愕然としてしまいました。

僕より生きている時間が5年も短いのに、聞いてきた音楽や見てきた映画は圧倒的に多く、インプット量にとても驚きました。

 

そういうのに年齢って関係ないんだと思いますが、インプット量の多い人って、人間としての面白さが立ち振る舞いに滲み出てしまっている。

比較してみると改めて、自分がどれだけ浅瀬も浅瀬で生きてきたのかを思い知って、恥ずかしくも情けなく、同時にとても羨ましいと思いました。

 

多くのものを知っている人の方が偉いとは思いません。

ただ、圧倒的なインプットによってごく自然に吐き出される、センスみたいなものがもう、とても羨ましいです。

 

既に好きなものに”しか”触れてこなかった僕に知識の幅はなく、インプット量だって少ない。

その分、全てにおいて「こうすればセンスある風かな?」なんて選択しかできないからです。

 

そうやって考えてる時点で既にダサいなって思うし、悔しいし恥ずかしい気持ちがあります。

 

僕は音楽も好きだし、映画を見ることも好きです。

本当は自分が好きだと思ったなら「好き」でいいものを、いつからか「好きと言っていい条件=知識を多く持っていること」という思い込みも感じていました。

 

きっともっと好きのハードルを下げていいものだと思うのですが、上がりきったハードルゆえに、今でも「趣味は何?」って聞かれると困ってしまいます。

 

そこを、好きなものは好きって言えるアユニ・Dさんの姿勢や、実際に何も知らない僕からすれば、マニアックでも面白そうな作品をたくさん並べていて。

そうやって純粋に、色々な面白そうなものを見つける、精度の高いアンテナを持っていることも、本当に羨ましいなと思いました。

 

僕も今でこそ、ただ音楽が好きでも、好きなミュージシャンの曲だけを楽しむ聞き方からは、意識して変えてみているつもりです。

ただ、20代後半になってから始めるのも、遅すぎるという訳ではありませんが、10代の頃からそれをやっている人が持つ、面白いもの発見アンテナには絶対に勝てないと思うんです。

 

強度を上げるためにかけてきた年数が既に圧倒的なまでに違うし、僕が進んでいたとしても、それ以上に強力なアンテナを持って、同じかそれ以上のスピードで、その人たちは進んでいるから。

 

自分は自分の好きなものを、胸を張って好きだと言えるようになればそれでいいし楽なんだろうけど、どうしてもセンスのコンプレックスみたいなものは残ってしまう気がしています。

悔しいです。格好いいです。

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いわはし

いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。

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