無駄を積み重ねた経験が人を面白くするっぽい

最近は、積極的に映画を見たり、本を読んだりするようにしています。

前々から、自分が格好いいなと思っている人、面白いなと思っている人が好きな映画や音楽には、よく興味を持つ方でした。

 

きっとそれを経験することで、少しでも憧れている人の視点に近付きたいという気持ちがあるからなんだと思います。

そうやって面白いものをいっぱい知ることで、自分も憧れている人がいる、”そっち側”に行きたいという気持ちがあるから。

 

学生の頃なんかは、自分の世界は自分を中心にしか回っていなかったから、人がどうであれ何も気になりませんでした。

とはいえ、それを気にしすぎるのもよくはないと思いますが。

 

音楽に関して言えば、僕はヴィジュアル系バンドしか聞いていなくて、それらが何より格好いいと思っていました。

大人になってみると、自分とは趣味の違う人とたくさん出会うようになって、その人たちがそれぞれ、自分がいちばん格好いいと思う何かを胸に持っている。

 

それらに触れてみると、自分が全く知らなかったものであり、こんなにも格好いいもの、面白いものが世の中にはまだあったんだと思わされる。

いかに自分が狭い世界の中で生きてきたかを思い知り、恥ずかしくもなりました。

 

当時は自分が好きなものはこれ、ともう決まっていた気がして、それ以外に触れることをしませんでした。

好きになるものなんて、人に勧められずとも自分で出会うものだと思っていたから、そういったお勧めに耳を傾けることもしませんでした。

 

この漫画が面白いよと言われても、あの映画が面白かったと言われても。

僕には既に好きなものがあって、それらは大体似通っているから、それ以外には興味を持つはずがないと、触れることが一切なかった。

 

漫画なんて読んで、そんなの時間の無駄だとも思っていました。

 

その感覚は今でも少しはあって、欲しいものや興味のものがあっても、考えると冷めてしまうことがある。

どうせそれを経験したって、見たって聞いたって読んだって、最後には結局みんな同じように死ぬんだから、じゃあ触れなくてもいい、って考え方。

 

すると途端に全てのことがどうでもよくなって、物欲なんかもサーっと引いていくっていうメリットがある。

デメリットとしては、全てを拒むから、何もない退屈な人生にもなってしまうということ。

 

僕には今でも趣味という趣味がない気がしていて、だからこそ色々な音楽や映画、本だったり、イケてるお店を知っていたり、そういった人に羨ましさを感じます。

何でそんなに面白いものを、たくさん知っているの?と思います。

 

それはきっと、色々なことに対して偏見なく興味を持って、触れてきた結果によるものだと思うんです。

はたまた、その経験を通じて磨かれた選球眼によって、面白そうなものを嗅ぎつける嗅覚が鍛えられているからだと思う。

 

睡眠以外のほとんどは、生きるためにはあんまり必要ないって、23歳くらいまでわりと本気で思っていました。

そんな僕にとっては、そういった人たちの感覚は衝撃でしかありません。

 

ちょうど、寝てばっかりで生きることにも退屈を感じるようになってきたそれくらいの頃に、せっかく生きてるなら寄り道はいっぱいした方が楽しいのかもしれない、と思ったり。

どうせ同じように死ぬなら、寄り道して暇つぶしをいっぱいした方が楽しいんじゃないかって、これまでとは真逆の考え方があることにも気がつきました。

 

大人になって何年か経ってみると、人生って思っていたより暇なことに気付きました。

それなら確かに、自分がこれまで無駄だと思っていた数多くのことは、せっかく生きてる時間を楽しく過ごすためには無駄じゃないのかもしれないと思ったり。

 

僕が格好いいなと思う人のひとりに、お笑い芸人、ピースの又吉さんがいます。

本をたくさん読んでいて博識で、ファッションセンスもあって、考えることも独創的で格好いい。

 

その又吉さんによる著書「第2図書係補佐」内、又吉さんとの対談部分で小説家の中村文則さんが、

「大量に本を読むと人間の中に何が起こるかと言うと、変な海みたいなものが出来上がる。

(一部省略) で、それは作家になるとかお笑い芸人になるとか、もちろんそれ以外のいろんな職業の人達にとっても、非常に素晴らしいものなんですよ。つまりいろんな角度から物事を考えられるようになる。」

と仰っています。

そんな海みたいなものを僕も欲しいと、ただただ羨ましくなりました。

 

それって小説を読んだ人には、それを糧に形成された海が。

いっぱい音楽を聞いてきた人にも、それを糧に形成された海が、いっぱい漫画を読んできた人にも、映画を見てきた人にも、それらによって形成された海が、それぞれあると思うんです。

 

今後まだ経験したことのない何かに触れるにしても、その海が糧となって最初からある程度スムーズに触れ合うことができる。

何かにどっぷり深くハマったことがある人しか持っていないハンデのようなものに、その海がなってくれると思うんですね。

 

学生の頃から色々なものに触れて作られてきたそれらを持っている人に比べて僕は、昔から興味の範囲を狭め続けてきたから、内面に海なんて持っていない。

持っていても湖くらいだから、どうにも機転が効かないな、と思う瞬間がどうしてもあります。

 

対して、要領がいいなと思う人は大体、どうにも海を持っている。

これが僕は今、とっても羨ましいです。

 

くだらないことを、くだらないと言って流してきたこれまでの姿勢が、自分の中に湖しか作らなかったのかなと思います。

くだらないことにも耳を傾けて、くだらない中にも面白さを見出せるのが、海を持っている人。

 

深夜ラジオを聞いていて、これって一体何が面白いんだろうと思ってしまう瞬間が、正直僕にはあります。

でも、もしかしたら同じように深夜ラジオを聞いていても、本気でハマって爆笑できる人生の方が、ずっと豊かで面白かったりするのかもしれません。

 

今からでも、湖を海にすることってできるのかと思いながら、興味を持ったものにはなるべく触れるようにしています。

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いわはし

いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。

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