東京に引っ越してから、もう3年くらいが経とうとしてる。
実際に住んでみると、やっぱりいろんな面白いことがたくさん、身近にあるところだなと感じる。
僕の実家は千葉で、都心までは1時間くらい。
だから遊びに行きたければ、ちょっと時間が掛かっても行けるっちゃいけるので、最初は「まあ引っ越さなくてもいいかな」と思ってた。
でも実際に住んでみると変わるもので、リアルなイベントひとつを取っても、物理的に行きやすい環境にある方が興味を持ちやすかったりする。
あんまり知識がない中で、とりあえずギターのエフェクターを買ってみたら、それ以降は気付いたらミュージシャンの音作りをYouTubeでよく見ている自分がいた。
それと一緒で、興味があることには、まずは片足突っ込んでみると吸収のスピードが上がるからいいって、振り返ってみて、やっぱり思った。
知識がなくても、買ってみたことで曲がりなりにもプロのミュージシャンと同じステージに立ってることには、なるっちゃなるので。
東京に住んでみると、身近で起こる面白いもの、ことに対してのアンテナもやっぱり敏感になったのはいいことだ。
それで純粋に、もっと面白いものを体験したいって気持ちで映画や音楽、カルチャーに触れているならいい。
ただ、やっぱりそこには少なからず、自分の内側にあるその気持ちだけじゃなく、外側に対する「これ知ってる、好きな俺、イケてない?」みたいな気持ちがある気もする。
そもそも学生の頃から、皆がポップな音楽を好きなら自分はヴィジュアル系バンドを、みたいな、人と違う自分でいたい欲がわりとあった。
本当にそう思ってるのか、ひねくれたフリをしてるのかは、もはや自分じゃ分かりづらくなってきたけど、たぶんひねくれているだけだ。
東京に引っ越して、いろんな面白いものに触れようとすると、一括りにするなら「サブカル」と呼ばれるものに突き当たる。
それは、これまでメディアを通じて知った商業的な”メイン”カルチャーに触れてきた自分にとっては、また一味違った気持ちを抱かせるものだった。
メジャーの音楽が化学調味料や添加物がてんこ盛りのラーメンだとしたら、対して無添加の、素材の味で勝負するラーメンのよう。
今まで知らなかった、世界のもうひとつの側面を覗いてるようで面白い。
売り上げだけが評価軸じゃないような気がして、何だかほっとした気持ちにもなる。
そこでは掘ってみれば、面白いけど、知ってる人が少ない作品に出会ったりする。
対して、果たして自分はそれを本当に面白いと思って楽しんでいるのか、時々疑問に思うことがある。
例の「これ知ってる俺、みんなが知らないこれを知ってる俺、イケてない?」みたいな自分が顔を出すからだ。
そんな自分が顔を出しても、別に外に出さなきゃいいんだけど、今はSNSというものがある。
そこに、例えば触れて面白かった音楽や映画なんかを、載せてみたりもするものだ。
自分としては、それをごく自然にやってしまうのは、触れて心底それに感動したとき。
人間は共感の生き物だなんてよく言うけど、感動すると興奮して、思わずそれを誰かに話したくなる。
けど周りに人がいないとき、SNSに載っけてみたりする。
でも、その気持ちに100%素直な投稿だけではないと、自分を見ていても思う。
やっぱり時々「これ知ってる俺、イケてない?」みたいな自分が顔を出すから、別にそこまで感動した訳じゃない何かも、載せてたりしている。
それが何だか、自分としては気持ち悪いし、そもそもやっている時点でダサいし、ちょっと嫌気がする。
好きなんだったら、別にどうするでもなく、何も言わずに楽しんでいればいいのに。
自分に対してそう思ってるから、人のSNSを見ても「これ知ってる俺、イケてない?」の視点から見てしまう。
そういう投稿をしてる人に「俺、イケてない?」の気持ちがなかったとしても、物事をどう捉えるかは、自分の気持ち次第。
「俺、イケてない?」の気持ちがある自分としては、そういう投稿を見ると「なるほど、これは「俺、イケてない?」タイプの投稿か」なんて思いながら見たりする。
だから、知り合いのSNSはほとんど見ないし、あまり興味を持たないようにしている。
きっと、どこかに人と違う自分でいたい欲がある以上、自分以上に人と違う誰かを見ると、「それを知らない俺はイケていない」と、謎の劣等感を抱いてしまうからだ。
人と比べたりせず、自分が好きなように楽しんでいればいいのに、だ。
自分にとって、SNSは周りの人と繋がるためというよりも、情報を得るためのツールである側面が大きい。
それでも、不思議と知り合いにアカウントが見つかったりするもので、気付いたら繋がっていたりもする。
それ自体が嫌というよりは、見てくれる人がいることで「これ知ってる俺、イケてない?」を始めてしまう自分が嫌だ。
そうなると、その作品に自分が本当に感動して感想を残しておきたかったのか、「イケてない?」がやりたかっただけなのかが、分からなくなって気持ち悪い。
SNSのアカウントって、これまでに何度も消そうしている。
ただ、いざ使わなくなると、面白い情報を得れるせっかくの機会が減るようで、もったいなさも感じている。
なんなら、情報を得るためだけのアカウントも持っているから、それだけにすればいいのかもしれない。
それでも消さずにいるのは少しのもったいなさと、しょうもない承認欲求があるからなのかもしれない。
最初は大きなテーマだと思って書き始めたけど、結局のところはSNSに関する現代病の話だった。
なんとも、小さい人間の見栄の話だった。
いわはし
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