自分を持ってる人がいちばん格好いい

東京に出てきてから、たくさんの面白い人たちに会ってきました。

 

ブログを通じて、スタッフをやっているラジオ番組を通じて、働いているお店やブランドを通じて。

テレビを見て、ラジオを聞いて、雑誌を読んで、映画を見て。

 

そうやって出会った面白い人、格好いいと思う人に、影響されやすい僕はすぐに憧れます。

ああいう風に本が好きで、知識をいっぱい持ってたら。

ああいう風に映画が好きで、引き出しをいっぱい持ってたら。

 

そんな風に思って、憧れている人が好きな映画や音楽、本には極力触れて、できるだけその人に近付けるようになんてことも考えてきました。

 

でも、僕も今年で27歳。

もういい年になるし、ここまで生きてきた過程で、本当にたくさんの人たちそれぞれに憧れながらの人生でした。

 

こうやって多くの人に憧れながら、「あの人みたいに」って追いかけることを何度も繰り返して、最近になって思うことがありました。

「自分らしさ」を持っている人のことを、僕は格好いいと思ってきたし、共通して憧れてきたということです。

 

「俺はこれが好き」「こういう人間だ」って、胸を張って言える人。

これまでに僕が憧れを抱いてきた対象は、例外なく全員がそういう人だったなと思います。

 

色んな人に憧れては、「あの人みたいに」って目指しながら生きてきました。

それを何回も繰り返して、憧れの対象と似たような人間にはなれないことも、薄々思うようになってきた。

 

無理して憧れの対象に近付くための努力を続けても意味がない。

外にばっかり目を向けるんじゃなくて、自分の内側に目を向けてとことん向き合って、自分の人柄とか好きなもの、考え方なんかを自分でもぐっと理解する。

 

いわば自分の取扱い説明書を手にすることで、自分の強みも浮かんでくるし、人柄もはっきりしてくる。

いくら真似しても同じ人にはなれないんだから、自分には自分の良さがあることを見つけて認めて、それを伸ばすことに注力した方が、ずっと楽な気持ちで生きれるんじゃないかと思うようになりました。

 

話はちょっとズレますが、僕がブログの収入だけで生活してた数年前は、毎日のように暇を持て余しては、早く1日が終わらないかな、なんて思いながら生きていました。

毎日のように暇だから、仕事を通じたりして誰かに必要とされてる、求められてる状況にある人のことを羨ましいって思っていました。

 

対して週5で仕事をしてる今はやりたいことがいっぱいで、もう少し時間があればって思う瞬間もあります。

暇な時間がいっぱいあるのって羨ましいな、って思ったりします。

 

両方を経験した今だから分かるのは、結局どんな環境に身を置いても、今の環境にないものを求めてないものねだりをするということ。

これはきっと、どんな環境になって変わらないと思うので、どこにいても今の自分を認めてあげれば、その瞬間からいくらか気持ちも楽になるはずだと思うんです。

 

あと、頭の片隅でやりたいと思ってることをやらないのは、「時間がない」って言い訳を作ってるだけだったということ。

それはブログだけで生きていた頃でも頭の片隅に置いたまま、結局先延ばしにしてたことでした。

 

時間がないのが問題なんじゃなくて、先延ばし癖が問題だっただけの話。

先延ばしをしちゃうのは、変に完璧主義な性格のせいで、準備段階で納得のいく状況にならないと走り出さないのが原因だったりします。

 

結局、準備段階で完璧になることなんかないから、ある程度の準備が整ったら飛び込んで、実践しながら失敗しながら改善していくしかないってことも、いい加減察するようになってきた。

これはまた別の話だからここでは詳しくは触れないとして。

 

どんな環境にいてもないものねだりを続けることに気付いたら、自分らしさを見つけて肯定して、それを武器にするしかないって、ようやく思えるようになったって話でした。

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いわはし

いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。

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