服を通じて人が自信を持てるように応援したい。ブロガーいわたのプロフィール

初めまして、ファッションブロガーのいわたです。

ぼくは現在、東京に住みながら当ブログ「いわタワー」を運営しています。

 

ぼくが当ブログを運営し、記事を書いている理由は大きく分けて2つあります。

ひとつは「素晴らしい服作りをしているブランド、素敵な服屋さんの存在や魅力をもっと多くの人に知ってもらうこと」

 

もうひとつは「服を通じて人が自分に自信を持てるように、応援をしたい」というものです。

 

今でこそ、そんな発信の仕方を心掛けていきたいと思っていますが、こう考えられるようになったのは2019年の9月に25歳の誕生日を迎えてからでした。

 

このプロフィール記事では、ぼくがどんな理念や考えを持って当ブログを運営しているのか。

また、現在持っている理念にたどり着くまでの過程を書いていきたいと思います。

 

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何かを頑張る意味が全く分からなかった中学時代

これまで25年は生きてきましたが、ようやく自分の人生が始まった感覚があるのは、ここ2~3年のことだと思っています。

 

幼稚園、小学校と特に目立つこともなく通って卒業。

中学生になって中二病を発症し、ヴィジュアル系バンドにハマる。

 

今思えば、この出来事が「人と違っていたい」という気持ちの原体験だったのかもしれません。

 

ファッションに関して言えば、着る服も中学生の頃は友達もモノトーンの洋服を着ている人が多く。

それならば、と母親からたまに「服でも買ってきたら」と渡されるお金を手に、ショッキングピンクのポロシャツを買ってみたり。

 

多くの友達が「smart」や「ELO」といったカジュアルなファッション雑誌に手を出すならば、と「メンズエッグ」を買って読むようにもなりました。

 

「モテそうだから」という不純な動機で入ったサッカー部は練習が楽しくなければ試合にも出れず終いでつまらなくなり、顧問の先生に嘘をついてはサボるように。

勉強に関しても、どの教科も30点前後で成績は下から数えた方が圧倒的に早い落ちこぼれでした。

 

「ちゃんと勉強していい高校に行って、いい大学に行かないといい会社には入れないんだよ」

両親からそう言われても、それが先のこと過ぎて勉強も部活も頑張る意味が全く分からないまま中学生活は3年目に。

 

地元では不良高校と認知されていた学校への進学

「頑張ったところで、どうせ俺なんか」

全てを諦めたような気持ちでやるせなく迎えた中学生活の終わり間際。

 

進路を決めるための三者面談で改まって先生、母親と三者面談をすると、当時のぼくの学力で進学できる高校は偏差値表でも下の方ばかり。

 

「あの学校は生徒が廊下をバイクで走っていたなんて伝説がある」

「こっちの学校では文化祭に卒業生が乗り込んでぶち壊しに来るらしい」

 

メンズエッグを読んでいたって、どう間違えてもヤンキーとは程遠い人種だったぼくは、そんな話を聞いてビビっていました。

 

実に中学3年生の4月から勉強を頑張ってテストの平均点数を倍近くまで伸ばすも、3年間の成績をトータルで見れば挽回を図るのが遅すぎた。

結局、地元では不良高校として認知されている高校へ進学をすることに。

 

流されやすく弱そうなぼくのことを心配したのかもしれません。

無事に進学先の高校こそ決まるも、母親が泣いている姿を陰で見てしまいました。

 

「このままじゃいけない」人生の挽回を図った高校時代

そんな母親の姿を見てしまったこと。

何より、不良でも何でもない自分があの高校に進学したら、今後どうなってしまうのか。

 

写っていませんが横にいるのは男友達です

そんな不安もありながら高校へ進学。

いざ通ってみると、入学から半年で見かけなくなった同級生も数人。

時には同じクラスで仲良く話をしていた友達の大半が同時に喫煙やらで休学になり、教室内がガラガラになっていた時期もあったり。

 

しまいには、制服を着て自転車に乗っているだけでバットを持って原付に乗った他校の不良に絡まれることも何度かありました。

 

「この学校でもボーッとしながら自堕落な生活を過ごしていたら、何だかダメになってしまいそうな気がする」

そう思ったぼくは、高校では勉強を頑張ろうと決心します。

 

当時のアルバイトをテスト前の2週間、丸々休むという店長泣かせのワガママを発動しつつも、テストの成績で学年1位を獲得することもできました。

高校からはバスケットボールを始め (部員が少ないから試合に出られそうという動機でしたが)、怪我をしても部活を休まない真面目さを買われて副部長に就任。

 

人生初のモテ期も経験し、「自分でもちゃんと頑張れば結果は付いてくるんだ」と思えた高校生活でした。

 

何気なく大学進学。就活を目前に虚無感を覚えブログを始める

楽しかった高校生活も終わりが近づいてきた頃、人生2度目の進路を考える時期。

友達の中には就職を決めた人もいる中で、ぼくにはまだ社会に出る勇気も覚悟もありませんでした。

 

「強いて言うなら」くらいの感覚で興味のあった経営学科を選び、大学に進学した感は否めません。

そして大学入学。

 

高い学費を払っているんだから、ちゃんと勉強していい成績を残さなくちゃいけない。

高校生の頃から真面目に転生したぼくは、大学でも「いい成績を残すために」勉強をしていました。

 

順調に単位を取り続けると、大学3年生の夏頃から時間に余裕が出てくるようになります。

大学に入学した頃から洋服は好きで、ブランド古着屋さんでアルバイトをするようになっていました。

 

4年生になったら始まる就活へ向けてインターンシップに参加をしてみたり、相変わらずアルバイトをしてみたり。

大学生になってからの何も考えていない時間はあっと言う間で、気付けば高校卒業時から先延ばしにしていた就職という現実が迫っていました。

 

結局、これといってやりたいことも見つかっていないけれど、そろそろ就活が始まってしまう。

就活で何か人に言える特技みたいなものを今から作っておかなきゃいけない気もする。

 

せっかく暇な時間があるなら、思い切って人と違った経験をしておきたいな。

その間は同じことを考えていた友達と一緒に怪しい大学生や、今思えば少し胡散臭いビジネスをやっているグループの話を聞きに都内へ繰り出していました。

 

どれもピンと来ず、諦めかけていた頃に「ブログでお小遣いを稼いでいる」という大学生の方が書いているブログに出会います。

その方に連絡を取って、ポケットWi-Fiはおろかノートパソコンすら持っていない状態でブログの開き方を教わることに。

 

就活に挫折。新卒でブロガーとして独立する

ブロガーとは、シンプルに説明をすると「モノやサービスを人に紹介する仕事」のことです。

こんな便利な商品が、サービスが世の中には存在すると記事にする。

 

GoogleやYahoo!から検索をして記事に辿り着いた人がそれに価値を感じて購入したり申し込んだとき、企業から仲介料が支払われる。

これがいわゆるアフィリエイトというもので、ブロガーの主な収入源になっています。

 

自分が自信を持って書ける、何かを紹介できる分野はどこなのか。

好きな記事を色々なジャンルで書き続けた結果、最もアクセス数が伸びていたのがファッション系の記事でした。

 

ぼくにできるのは、大好きなファッションの記事を書いて人に価値を提供すること。

ひたすら続けるうちに収入は少しずつ伸び、大学3年生の終わり頃には3~4万円を稼げるようになっていました。

 

ブログが軌道に乗ってくるも、就活では挫折の連続。

 

「そもそも自分が本当にやりたいことはまだ分からない」

そう思ったぼくは6月末で就活を辞め、まだ収入が5万円ほどしかなかった状態でブロガーとして生計を立てていくことを決めました。

 

背水の陣で常に不安と戦いながらも、手を動かすしかない日々。

何とか収入を社会人1年目の初任給くらいまで伸ばし、大学卒業を前に1人暮らしを始めて本格的にブロガーとして独立をします。

 

「ブログで飯を食う」目標を達成し燃え尽き症候群になる

晴れて念願の独立、ブログで飯を食うという目標を達成して始まった一人暮らし。

ブログって過去に書いた記事が収入を生んでくれるので、少し休んでも急に収入が落ちることは珍しくて。

 

それでも手を止めてはいけないと記事を書き続けるも、新卒で独立して半年が経った頃から強烈な燃え尽き症候群に陥ります。

 

学生時代の目標だった、ブログで生計を立てることは無事に達成できた。

しかし、それに続いてぼくがブログを続ける理由や目標をひとつも見出すことができていなかったんです。

 

目標を見失いデュエルマスターズにハマる

「・・・まあ、せっかく自由な時間を手に入れたんだし、収入もすぐには減らないから大丈夫だろう」

初めての1人暮らしということや、時間に縛られない生活であるのをいいことに、色々な場所へ旅行してみたり、昼間から銭湯に行ったりお酒を飲んでみたり。

 

自由な時間と、生活していくには十分すぎるほどのお金はある。

それなのに、とてつもない虚しさを感じながら、ただただ毎日夜になって眠くなるのを待っているだけの生活でした。

 

目標を達成したから、楽しい生活が待っているはずだったのに。

夜な夜な、近くに住んでいる友達が仕事を終わったタイミングを見計らっては家に呼んで夜中まで遊ぶ。

ただそれだけが生き甲斐になっていました。

 

全身コーデをしてあげた友達が喜んでくれた顔

そんな生活を1年半ほど続けてみても、「今が楽しいからそれでいいや」とは到底思えませんでした。

友達と遊んでいるときはもちろん楽しいけれど、当時は言ってしまえばブログを読んでくれた人に対して価値のある記事なんて提供できていませんでした。

 

本当に仕方のない、自己満足な日記のような内容の記事ばかりになってしまった。

それまでぼくのブログを読んでくれていた読者の方から直接「がっかりした」とメッセージを頂いたこともありました。

 

そう言われてしまっても仕方のないことをしていたな、と本当に思います。

目標がなく途方に暮れていながらも、とりあえず手を止めてはいけないと、また自分が書いて楽しいだけの記事を量産する悪循環。

 

気付けばブログのアクセス数も収入も独立当時の半分以下にまで落ち込んでいました。

 

本当にこのままじゃいけない、何かを変えなくちゃ。

そう思って千葉から東京に引っ越したのもこの頃のことでした。

 

環境が変われば何かが変わる。

千葉よりも東京には服屋さんがたくさんある分、「とりあえず記事ネタになるように服を買おう」

そんな行動を起こせる機会は十分に増えました。

 

でもそうじゃない。

ブランド古着で安く買った服を紹介する記事を書く。

 

手を止めてしまえば、収入はもっと減ってしまう。

焦りから毎日のように洋服を買っては記事を書いてみるも、どこか「こうじゃない」感は否めないままでした。

 

そんなある日、大学時代からの友達が千葉から東京へ遊びに来てくれたとき、ひょんなきっかけから彼の服装を全身コーディネートしてあげることに。

何気なく遊び半分での出来事でしたが、彼をコーディネートしてあげると、心なしかさっきまでよりもいい顔をしていました。

 

秋になってまた買い物に誘ってみると、前回の夏コーデを気に入ってくれたのか洋服の買い物に対して積極的になった友達。

彼の意見も取り入れながらコーディネートを組んであげると、またもやそれをとても気に入ってくれて。

 

なんと後日、「人生で初めて女の子から「お洒落だね」って言ってもらえた」と嬉しそうに報告までしてくれたんです。

 

あのときの友達の嬉しそうな顔を見て、ぼくは長らく忘れていた、自分が洋服やファッションに興味を持った最初のきっかけをふと思い出したんです。

 

人が自信を持てるように、ぼくは服を通じて応援したい

ぼくが洋服に興味を持った最初のきっかけは、憧れのロックバンドのメンバーでした。

メンバーの私服に興味を持って、同じブランドの服が買える都内のお店まで行ってみたんです。

 

今まで1着で1万円以上する洋服を買った経験はなかったけれど、そこでぼくが欲しいと思ったモッズコートは5万円。

アルバイトで貯めたお金を震えながら引き出して、レジでお会計をして手に入れたそのコート。

 

それを着ているときだけは、いつもよりも少しだけ胸を張って、自分に自信を持っていられたんです。

 

いきなり高い服を買わなくても、それまで服装に興味を持っていなかった人がそこに気を遣うようになると、背筋が伸びる。

友達もいい顔をしていたし、心なしか前よりも気持ちがポジティブで前向きになっているんですよね。

 

この経験を通じてぼくは、人が自信を持てるように服を通じて、ファッションを通じてそれを応援したいと思うようになりました。

そんな理念であり目的を、どうしようもなく燃え尽きていた2年半を抜け出して抱くようになりました。

 

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ファッションの楽しさと可能性を多くの人に感じてもらえるように

友達にもいきなり「高い服を買おう」なんて言おうとは絶対に思っていません。

着る服は高ければ高いほどいいとは、ぼくは全く考えていないからです。

 

ファッションを通じて、コーディネートを通じて、服装に気を遣うことの楽しさを多くの人に感じてもらいたい。

着る服が自分に自信を持つためのきっかけになること、その可能性を感じてもらえたら嬉しいな、とぼくは思っています。

 

その過程でファッションを「楽しい」と思える趣味にまでしてくれる人がいたら、ぼくもとても嬉しいです。

 

世の中には素晴らしい洋服を作り続けているブランドがたくさん存在します。

それらの魅力にも触れてみて欲しい。

そういったブランドが多くの人に支持される業界になって欲しいというもうひとつの思いもあり、ぼくはブログを書いています。

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いわはし

いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。

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