いわたのプロフィールと経歴

個人ブログ「いわタワー」を運営する1994年生まれの22歳。

好きな言葉は「失敗は成功のもと」「やればできる」

 

2017年に大学を卒業し、その後は就職せずにブログの収入で生計を立てる「プロブロガー」として生きています。

生まれも育ちも千葉、生粋の千葉っ子なぼくのプロフィールと経歴です。

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とにかく周りの目を気にしていた小学生時代

大人しい性格をしているわりに、気心を許した仲間と一緒にいるときは騒がしいタイプでした。

「でした」なんて書きましたが、これは今に至るまで変わらないところです。

いざ仲良くなると「もっとクールな奴だと思ってたよ」なんて、とにかく言われます。

 

この頃は幼いながらとにかく周りの目を気にしながら学校へ通っていました。

小学生の頃はやんちゃでアクティブな友達と仲がよくて、放課後も土日も必ず外へ遊びに行って。

集まっては鬼ごっこやスポーツをして、飽きたらカードゲームかゲーム機で遊び、それにも飽きたらまたスポーツ。

小学生時代のほとんどはそうやって過ごした記憶があります。

 

ただ、一緒になって遊んでいたグループには、俗に言うボスみたいな友達が1人いて。

彼に嫌われるのは全員に嫌われるも同義だったので、やたらと周りの目を気にして同調することを心掛けていました。

 

それでも、心の奥底ではそんな状況にどこかバカバカしさを感じていたぼく。

いつしかそんな”ボス”とは関わらなくなり、同調も何もなく純粋に仲のいい友達だけと遊ぶようになるのでした。

 

いわゆる”クズ生徒”だった中学生の頃

中学校に進学すると、少し大人になった気分に浸り始める。

中二病なんて言いますが、ぼくはそれを入学した直後から思いっきり発症していました。

 

職員室の前で喧嘩をしたり、トイレで喧嘩をして先生に止められたり。

挙句の果てには先生に逆らって殴られ、廊下に引きずり出されたり・・・。

ぼくのそれは酷いものでした。振り返るのであれば確実に黒歴史です。

 

中学校に進学すると仲がよかった友達のほとんどはテニス部に進学。

小学生の頃からサッカーを続けていたぼく。

「一度始めたことを途中で辞めるのは悪いこと」という日本人の典型的な悪い思い込みが染み付いていました。

 

それゆえ中学生になってもサッカーを続けるけれど、さほど運動神経がよくないぼくは万年”2軍のエース”で。

いつしか大事な公式大会さえも「どうせ出番もないし」とサボるようになりました。

 

少しでも放課後や土日の遊びに顔を出さなかったり、皆と違う意見を言えば仲間外れになる。

そんな仲間意識の強い思春期の友達付き合いには、小学生の頃にも増して強い違和感を抱くようになりました。

 

気付けばそういった意識の強かった友達と絡む回数は減っていき、1人でいる方がずっと楽しいことに気付きはじめる。

周りと同じことをするのが大嫌いな性格で、皆がロックバンドにハマっていれば、ぼくはヴィジュアル系バンドにのめり込む。

お小遣いを手にしてはそれらのCDを買い集め、実に1,000枚近くを所有しています。

それでも、行くところまで行ってしまうと話の合う友達が限られてきて退屈さを感じるようになってしまう。

 

これが、ぼくが人生で初めてブログを開設するきっかけとなりました。

中学2年生の頃、Yahoo!ブログを使ってヴィジュアル系バンドに関するブログをひたすら更新していたのです。

「いわタワー」を開設したのは大学3年生の夏だけど、振り返ってみればぼくは中学2年生の頃からブログを書いていた。

ブロガーって働き方、ぼくにとっての天職だったりするのかも。

 

成績は150人中120位の典型的なアホ中学生

中学生になった途端、勉強に対するやる気がなくなりました。

何の為に学校へ行き、何の為に勉強をするのか?いくら考えてもぼくには全くわからなくて。

 

1年生の頃はちょっと強い雨が降れば自主休校。先生から電話が掛かって来ても部屋にこもったまま。

学校に行っても授業中は常に友達と喋っていて内容は全く聞いていませんでした。

お陰でやっていることが全く分からず、それがつまらなくて授業を聞かず・・・。

 

その悪循環で勉強には全く手を付けず、1年生の初めの頃から成績は150人中120位の位置にいました。

テスト直前、周りの友達が勉強をしている時期でもぼくは帰ってきて寝るか、パソコンとの前に座って音楽を聞くかのどちらか。

当然そんなぼくに両親も大激怒で、何度怒られたことか。

そして何度逆ギレをして、両親と殴り合いの喧嘩をしたことか。

一向に勉強しないぼくを前に、親が涙を流す姿を見ても何も思わない中学生でした。

 

「このままじゃまずい」ようやく危機を感じた中学生3年生の夏

そんな風にダラダラと過ごして、あっという間に中学3年生になった頃。

周りの人達は受験を控えて常にピリピリしていた。

 

とはいえぼくも受験を控えていましたが、まるで他人事のように楽観的でした。

4月の時点では、最悪高校は行かなくていいや、なんて思っていたほど。

 

自分の人生を自分で考えることもせず、自由に過ごしていたぼくが現実を目の当たりにしたのは、母親を含め三者面談を行ったとき。

先生に「お笑い芸人になる」だの、「バンドマンになる」だの言っていましたが、それ以前にまず高校に進学することを考えると・・・。

今の自分の偏差値では行ける高校が偏差値30台後半の高校ばかりという衝撃的な事実を突きつけられました。

 

普通に考えて気付くのが遅すぎますが、当時のぼくは3年生の5月までそのことに全く気付きませんでした。

進路として選べる高校の名前を見ると、どの高校も廊下をバイクで走る生徒がいるだの。

入学して1年以内にほとんどが退学するだの、恐ろしい噂しか聞いたことがない高校ばかり。

 

え・・・俺、そんな高校に行くことになるの?

現実を見るのが遅すぎたぼくはそれ以降、やらないよりはマシだと思い必死に勉強をすることに。

帰ってからかなり落ち込みましたが、そんな暇はないと自分に喝を入れる。

そうして人生で初めてなんじゃないかってくらい勉強した中学3年生の1学期。

 

成績は一気に伸びて150人中120位から60位へと上がり、5教科の平均点数も初めて学年平均を上回るようになりました。

2年生の頃は偏差値38だったのに、受験前には担任の先生に「3年生の成績だけなら偏差値55はあるよね」と言われるほどの伸び。

 

が、3年間を平均すると結局はアホでしかなかったので、進学する高校は偏差値表でも下の方の高校でした。

相変わらず楽観的だったぼくは「家から近いし、いっか!」なんて割り切っていました。

が、昔からあまりにも評判の悪い高校だったので、それを決めた夜には母親が泣いていたのを覚えています。

 

高校時代はぼくの人生におけるターニングポイント

親を悲しませながらもヤ〇キー高校へ進学したぼくは、そこで衝撃の事実を目の当たりにしました。

初めての英語の授業、何を勉強するのかな?

期待に胸を膨らませていると、先生が入ってきて言った第一声は・・・

「それじゃあ皆さん、アルファベットを順に言ってみて下さい」

え?俺は何か聞き間違えたかな。高校生だし、それはさすがにないよな?

なんて思っていると、出席番号1番から順に「はい。ABC・・・」

 

いや、嘘だろ。しかも何人か順番間違えてるぞ。

やばい所に来てしまった。

この場所でも勉強をサボって成績が悪かったら・・・親は泣くどころか死んでしまうんではないか。

そう思ったぼくは、ここにきてようやく高校生からは真面目に勉強することを決心しました。

 

成績で学年1位を獲得する

それ以降、家に帰ってからは自分にビンタをしながら勉強し、高校では学年順位1位の成績を何度か手にしました。

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ただ、彼女ができて浮かれていた3年1学期の成績だけガタ落ちしてます。

一つのことにしか集中できないぼくの性格が露骨に表れてる。

 

初心者ながらバスケットボールを始めて副部長に命名される

高校では、下手だったサッカーを辞めてバスケットボールを始めました。

周りにも初心者が多かったので、色々なことを皆で一緒に覚える感覚がとにかく楽しくて。

中学生の頃の様に部活をサボったことはありませんでした。

 

3年生になる頃には真面目さを買われて副部長になったぼく。

毎日の様に一生懸命に練習をして、最後の試合で勝てなかった時には本当に悔しくて、初めて人前で号泣しました。

悔しくて泣いてしまうくらい、何かひとつの物事に真剣に取り組んだ経験はこれが初めてです。

 

一生懸命になることの素晴らしさと可能性を知った

高校では勉強にも部活にも常に全力で取り組んで、物事に対し一生懸命になることの素晴らしさを知って。

このタイミングで、中学生の頃の自分とは全くの別人に生まれ変わったような気さえしています。

今でも中学校の同級生に会うと「本当に変わったよね」と言われるぼく。

 

「正直、中学生の頃のお前は尖っててあんま好きじゃなかったよ」

今ではこう言ってくれる友達がいるのも、この高校に来て変われたからなのかもしれません。

一番身近で僕を見ている両親でさえも、「なんか丸くなったね」というほど。

 

高校進学を決めたときに親が泣いていたのはきっと「あの高校に行ったら息子は道を外れるんじゃないか」と心配だったから。

しかし、ぼくは良くも悪くも自分の頑固さだけには異様なまでの自信があります。

どんな環境にいても決して周りに流されず、むしろ周りを反面教師にしたからこそ自分を変えることができました。

 

ちなみにいうと、高校生にもなると小・中学生の頃みたくむやみに交友関係を広げようとは一切することもなく。

来るもの拒まず、去る者追わずのスタンスで本当に気の合う友達とだけ過ごす学生生活でした。

そのお陰かな。大学を卒業した今でも付き合いのある友達が何人かいて。

彼らこそこれからの人生でもずっと大切にしたい、ぼくにとっての心からの友達です。

 

大学生。ウェイウェイしないキャンパスライフ

大学に進学してからも授業をサボったりすることは一度もなく。

ひたすら真面目に授業を受けて、成績も後になって成績優秀者として表彰されるレベルのそれを保っていました。

 

当時のぼくには高校生の頃から付き合っている彼女もいて。

入学と同時に入った軽音サークルはウェイウェイした雰囲気に違和感を感じて半年で辞める。

授業が終わったら大学をすぐに去って家に帰るかバイトをするか、彼女と会うか。

とても平凡だけど何一つ変化のない日々を過ごしていました。

 

それを3年ちょっと続けた頃、大学3年生の夏。

卒業に必要な単位はおおよそ取り終えた頃でした。大学へ行く回数が激減したのもこの頃。

おまけに高校生の頃から付き合っていた彼女とは2年生の終わり頃に別れていたので、とにかく暇を持て余す。

当時はまるでフリーターのような生活を送っていました。

家とバイト先をひたすら往復して、たまに就活の準備をしてみたり。

 

何一つとして不自由のない生活なんだけど、何一つとして刺激もなくて。

「これだけ時間が有り余っているんだから、新しいことを始めてみようかな」

そう思ったことをきっかけに始めたのがこのブログでした。

 

退屈だった毎日は、ブログに出会って180度ひっくり返った

いざブログを始めてみると、同じようにブログを書いている大学生とたくさん知り合って。

いわゆる”大学生ブロガー”は、ぼくが通っている田舎のマイルドヤンキーばかりが集う大学には全くいない人種でした。

考えていることがとにかく面白いし、何をやるにしても目をキラキラさせながらワクワクしていて前向きで。

だって「ブログでお小遣いを稼ごうぜ」って、どうやったらそんな発想に至ったんだろう。

 

ぼくはブログを始める前から、正直に言って大学ではあまり友達を作りたくはありませんでした。

そこにいる多くは「どうせ無理」が口癖で、常に後ろ向きでネガティブな雰囲気を発していたから。

 

しかしブロガーさんはそれと綺麗に真逆で。

何をするにしても「まずはやってみよう」「やってから改善策を考えよう」

「こうしたらもっと稼げるんじゃない?」って、そこには学生による学生らしくない会話が飛び交っていて。

 

この不思議な環境は何なんだ?あまりにも面白すぎない?

とにかく前向きで上昇志向な他の学生ブロガーさんに触発されて、ぼくはどんどんそっちの世界へのめり込んでいくように。

そこには大学の友達と話しているときの1000倍くらいワクワクしているぼくがいました。

 

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大学を卒業後は就職せずにプロブロガーの道へ

それからというものの、どんどんブログの世界にハマっていったぼく。

いくらかお金を稼げるようになったことで、もともとあまり入っていなかったバイトのシフトをさらに減らすように。

大学4年生になった頃にはバイトを辞め、就活のため企業の選考をガンガン受けている時期でした。

 

今をときめくITベンチャー企業で働きたい。

前々から感じていたけれど、その想いはブログを始めてITリテラシーを高めていくにつれて強くなっていきました。

心の底から働いてみたいと思える企業の選考に足を運んでは砕け散って、次を見ながらエントリーシートを書いて・・・。

 

しかし一向に受からない。どうしてなんだろう?

そんなことを考えるようになった頃、ぼくは本当に働きたいと思っていた企業の面接には全て落ちてしまっていた。

でも就活は続けなきゃならない。お金を稼ぐために、生きるために。

 

そうは思ったものの、ぼくは昔から嘘をつくのが死ぬほど苦手な人間で。

実はあまり働きたくないと思っている企業の面接を受けたところで、面接のプロである人事にはそれが一瞬で伝わります。

当然、選考を通過する訳なんてなく。

 

このまま選考を受け続けても無意味だし、そもそも受かったところで働きたいとは思えない。

せっかく人生の大半を仕事には費やすんだから、心の底からワクワクして取り組めるものがいい。

 

迷った挙げ句、ぼくが出した答えはこう。

「ぼくは企業に就職しない。プロブロガーとして生きていく」

当時まだブログで月に4〜5万円しか稼げていなかったにも関わらず下した大きな決断。

2016年の6月末、最後に受けた企業の最終面接に落ちたその瞬間のことでした。

関連記事▶︎【就活失敗】40社受けて内定ゼロのぼくはフリーランスで生きていく | いわタワー

 

そうして2017年の3月に大学を卒業。その少し前となる12月からは1人暮らしを始めて独立。

今では毎月25〜30万円くらいを稼ぎながらブログで生計を立てることができています。

今後はブログの収入を増やしながら、”ブロガー”という枠にとらわれない生き方を模索するつもり。

いつまでもブロガーに留まったまま生きるつもりは全くありません。

直感と好奇心にだけは正直に、常にワクワクしながら生きることを追求し続けます。

 

と、ぼくの経歴や人となりをつらつら綴ってきました。

22年も生きてますから、まだまだここには書ききれないことだってたくさんあります。

ぼくの好きなもの。音楽、ファッション、そしてこのブログ・・・。

じゃあ、それらを好きになったのはどうしてなのか?

 

それらのテーマに関しても過去に記事を書いているので、ぜひ目を通してみてくださいね。

下にある「この記事を読んだ人におすすめ」や当ブログ「いわタワー」に興味を持ったらまず読んでほしい10記事 | いわタワーも要チェック!

 

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

大学を卒業後、就職せずにブログの収入で生計を立てている22歳。「ブログを始めよう」と決意するも、パソコンを持っていない状況からスタートして今に至ります。三度の飯より服が好きなファッションブロガー。最近はデュエルマスターズにドハマり中。
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