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いわタワー

服マニア学生ブロガーが洋服に関するあれこれを独特の切り口から記事にしてお届けするファッション系ブログ

いわたのプロフィールと経歴

プロフィール
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1994年生まれの21歳。

生まれも育ちも千葉、生粋の千葉っ子なぼくのプロフィールと経歴です。

 

 

いわゆる”クズ”だった中学生時代

ちょっと大人になった気分でいた中学生時代。

職員室の前で喧嘩をしたり、トイレで喧嘩をして先生に止められたり、挙句の果てには先生に逆らって殴られ、廊下に引きずり出されたり…。

ぼくのそれは酷いものでした。振り返るのであれば確実に黒歴史です。

 

成績は150人中120位のアホ中学生

中学生になった途端、勉強に対するやる気が無くなり、何の為に学校へ行き、何の為に勉強をするのかが分からなくなりました。

1年生の頃はちょっと強い雨が降れば自主休校。先生から電話が掛かって来ても部屋にこもったまま。

学校に行っても授業中は常に友達と喋っていて内容は全く聞いていませんでした。

 

お陰でやっていることが全く分からず、それがつまらなくて授業を聞かず…。

その悪循環で勉強には全く手を付けず、1年生の初めの頃から成績は150人中120位の位置にいました。

テスト直前、周りの友達が勉強をしている時期でもぼくは帰ってきて寝るか、パソコンとの前に座って音楽を聞くかのどちらかしかしない。

当然そんなぼくに両親も大激怒で、何度怒られたことか。

そして何度逆ギレをして、両親と殴り合いの喧嘩をしたことか。

 一向に勉強しないぼくを前に、親が涙を流す姿を見ても何も思わない中学生でした。

 

部活にも真剣に取り組もうとしなかった

中学生の頃はサッカー部に所属していました。

元々運動神経も良くはないので、サッカーの成績もあまり目立たないものでした。

部活も勉強と同じ様に、自分が一生懸命に練習をしないので当然試合にも出られず、それがつまらなくて次第にサボるようになりました。

夏休み、学校がない時期の部活の練習を1週間以上サボったこともありました。

当然、久々に行けば顧問の先生から長時間に渡る説教。

 

それ以降しばらくは練習に行きましたが、やっぱり自分が悪いくせに試合に出られないのがつまらなくて、学校が始まってからも週に1度は部活をサボっていました。

 

このままじゃまずいと思った中学3年生

そんな風にダラダラと過ごして、あっという間に中学3年生になりました。

周りの人達は受験を控えて常にピリピリしていた。

とはいえぼくも受験を控えていましたが、まるで他人事のように楽観的でした。

4月の時点では、最悪高校は行かなくていいや、なんて思っていたくらいです。

 

自分の人生を自分で考えることもせず、ただ自由に過ごしていたぼくが現実を目の当たりにしたのは、母親を含めた三者面談を行った時でした。

はじめは先生に、お笑い芸人になるだの、バンドマンになるだのふざけたことを言っていましたが、それ以前にまず高校に進学することを考えると、

今の自分の偏差値では行ける高校が偏差値表で下の方の高校ばかりであるという衝撃的な事実を突きつけられました。

普通に考えて気付くのが遅すぎますが、当時のぼくは3年生の5月までそのことに全く気付きませんでした。

進路として選べる高校の名前を見ると、どの高校も廊下をバイクで走る生徒がいるだの、入学して1年以内にほとんどが退学するだの、恐ろしい噂しか聞いたことがない高校ばかり。

 

え…俺、そんな高校に行くことになるの?

 

現実を見るのが遅すぎたぼくはそれ以降、やらないよりはマシだと思い必死に勉強をすることに。

帰ってからかなり落ち込みましたが、そんな暇はないと自分に喝を入れ、人生で初めてなんじゃないかってくらい勉強した中学3年生の1学期。

成績は一気に伸びて150人中120位だったぼくの成績は60位へと上がり、5教科の平均点数も初めて学年平均を上回る様になりました。

2年生の終わり頃は偏差値38だったのに、受験直前で最後の3者面談の時には担任の先生に「3年生の成績だけなら偏差値55はあるよね」と言われる程の伸び。

 

が、3年間を平均すると結局はアホでしかなかったので、進学する高校は偏差値表でも下の方の高校でした。

 

相変わらず楽観的だったぼくは「家から近いし、いっか!」なんて割り切っていましたが、昔からあまりにも評判の悪い高校だったので、それを決めた夜には母親が泣いていました。

 

クズから一転、真面目な高校生になる

親を悲しませながらもいわゆるヤ〇キー高校へ進学したぼくは、そこで衝撃の事実を目の当たりにしました。

初めての英語の授業、何を勉強するのかな?なんて期待に胸を膨らませていると、先生が入ってきて言った第一声は

 

「それじゃあ皆さん、アルファベットを順に言ってみて下さい」

 

え?俺は何か聞き間違えたかな。高校生だし、流石にそれはないだろ。

なんて思っていると、出席番号1番から順に「はい。ABC…」

 

いや、嘘だろ。しかも何人か順番間違えてるぞ。

 

やばい所に来てしまった。この場所でも勉強をサボって成績が悪かったら親は泣くどころか死んでしまうんではないか。

そう思ったぼくは高校生からは真面目に勉強することを決心しました。

 

成績で学年1位を獲得する

それ以降、家に帰ってからは自分にビンタをしながら勉強し、何度も学年順位1位の成績を手にしました。

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ただ、彼女ができて浮かれていた3年1学期の成績だけガタ落ちしてます。一つのことにしか集中できないぼくの性格が露骨に表れてる。

 

バスケを始めて副部長になる

高校では、下手だったサッカーを辞めてバスケットボールを始めました。

周りにも初心者が多かったので、色々なことを皆で一緒に覚える感覚がとにかく楽しくて、中学生の頃の様に部活をサボったことはありませんでした。

3年生になる頃には真面目さを買われて副部長に。

 

毎日の様に一生懸命に練習をして、最後の試合で勝てなかった時には本当に悔しくて、初めて人前で号泣しました。

悔しくて泣いてしまうくらい、物事に真剣に取り組んだ経験は人生で初めてでした。

 

一生懸命になることの素晴らしさを知った

勉強にも、部活にも常に全力で取り組んで、一生懸命になることの素晴らしさを知って。

気付けばぼくは、中学生の頃の自分とは全くの別人になっていました。

中学校の同級生に会うとよく「本当に変わったよね」と言われます。

 

今では「正直、中学生の頃のお前は尖っててあんま好きじゃなかったよ」なんて言ってくれる友達がいるのも、この高校に来て変われたからなのかもしれません。

一番身近で僕を見ている両親でさえも、「なんか丸くなったね」というほど。

高校進学を決めた時に親は「あの高校に行ったら不良になっちゃうんじゃないか」と心配して泣いていたんだと思いますが、僕は良くも悪くも自分の頑固さには自信があります。

どんな環境にいても、決して周りに流されず、むしろ周りを反面教師に努力したからこそ真面目に生まれ変わることができました。

 

そして現在、大学4年生

ぼくの高校に来た指定校推薦で1番上の枠を手に入れて今の大学に来ました。

特別偏差値の良い大学って訳じゃないけど、少人数制なので授業でも基本的に教授との距離が近く、非常に教育の環境が整った大学に通って経営を専攻しています。

 

大学3年生の秋にブログを始めてからぼくの人生観は大きく変わりました。

就職活動に失敗したことを機にフリーランスで生きる道を歩きます。

まずはブログで生活できるだけの収入を得ることができたら、その他の色々なことにも手を出していきたいと考えている次第です。

 プロフィールを読んで少しでも気になったら、他の記事も是非読んでみて下さい!

 

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