TOWER REPORTS

だってKENZOだよ?

冬が終わる頃、ぼくはKENZOのキャップを買っていました。

最近でこそ出番はほとんどないものの、買った当時は気に入っていたので、当然のように高い頻度で被っていて。

 

いつか、初めて会う人も含めて5~6人でご飯を食べに行ったときのこと。

その日もぼくは、KENZOのキャップを被っていました。当時ブログで紹介した、派手な柄をしたKENZOのキャップを。

 

何度か記事にもしてきましたが、ぼくは自分のことをお洒落だと思ったことはほとんどなくて。

むしろ、これだけ服にこだわりがある割にはコーディネートのセンスがないんじゃないかな、と思っています。

 

なぜなら、ぼくはただの服オタクだから。カリスマファッションブロガーとか、周りの友達に憧れられるとか、そんなことは一切ありません。

ただ、洋服が大好きです。自分をお洒落に見せたい、誰かに見せたいというよりは、自分が好きな服を着て、自分の気分を上げたい。

自分に自信を持てないでいる自分を、お気に入りの洋服を着て武装することで肯定してあげたいんです。

 

話を戻して、その日のコーディネートは自分でも、抜群に気に入っている、と思えるようなものではありませんでした。

普段は自然な気持ちでコーディネートを組めるのに、都内へ遊びに行くってだけで変な気合いが入って、空回りするように思います。田舎者です。

 

iroquoisのスウェットデニムパンツに、GUのロンT。その上からマスタード色のカーディガン(ブランドをど忘れしていますが、ルード系でした)を重ねたコーディネート。

微妙にカジュアルで、絶妙にダサいラッパーみたいな。ただただそんな感じのコーディネートでした。

 

皆でお酒を飲んで、2軒目に行こうと移動していたそのとき。以前から付き合いのある、酔っ払ったひとりの方(年上/男性)がぼくに向かって一言。

「俺思うんだけどさ、こいつ洋服のブログ書いてるけど、実はそんなにお洒落じゃない説あると思うんだよね」

 

こんな感じでイジられるのは日常茶飯事なので、「いや、本当にそうなんですよ」と受け流すぼく。というかそれは、自分でも本当に思っていることなのでした。

これまた何度か記事にしていることですが、ぼくにとっての”お洒落”っていうのは、コーディネートのセンスだったりもあるけれど、それ以前に人柄や雰囲気、立ち振る舞いによる部分が大きいと思っていて。

 

極論、いくら服装にこだわって、コーディネートのセンスを磨いたところで、それは小手先のスキルに頼っているだけのこと。

本当に大切な、”自分自身”と向き合って魅せ方を研究するところからは、逃げていることにしかならないと思っているんですよね。

 

前にも例えたけれど、Suchmosのヨンスの全身コーディネートをぼくが着たところで、到底”お洒落”には見えない。

一方で、ぼくが着ている服をヨンスと総とっかえしたら、それだけでも格好良いと思うんです、ヨンスって。

 

こうなるともう、着せ替えを続けるんじゃなくて、着せ替え人形本体のレベルを上げていくしかないんですよ。

色々な経験をしたり、何かに慣れたりして、いわゆる”小慣れて”いくこと。これを怠っている限り、どこまで行っても”お洒落”にはなれないと思うんです。

 

でもそれって正直、面倒臭いし、とても時間が掛かること。だからぼくはそこにはさほど執着せず、ほぼ自己満足で洋服選びを楽しんでいるんですね。

「あなたにはわからないでしょうね」

心の中でそう呟きながら、その事実は毎度認めています。

 

さて、そんなやりとりをしている中、そこで初めてお会いした、一緒にいた年上女性がぼくら2人に向けてこう一言。

「そんなことないでしょ?だって(キャップが)KENZOだよ?」

 

フォローしたつもり。本人は思っているであろうその発言。

ぼくには分かるんです。何気ない会話の中でも、裏の裏の、そのまた裏まで読もうとするほど、親しい友人以外を基本的には疑っているぼくには分かる。

その発言をするあなたも同じく、ぼくのことを”お洒落”だとは微塵も思っていないことを。

 

「だってKENZOだよ?」

人が好むブランドで、対象のファッション偏差値を測るタイプの人間に多い発言。

KENZOを知っているくらいなら、身につけているくらいなら、高いお金を出してまで買うくらいなら、一応それだけ洋服が好きなんだろう、と推測してのことでしょう。

 

「そのKENZOを身につけているんだから、仮にもお洒落っしょ」

そうじゃないんですよ。選ぶブランドとファッションセンスに関係は一切ない。

それなら、ハイブランドに憧れて、頑張ってお金を貯めてキャップを買って、コーディネートは中学生みたいでもお洒落って言っているのと、同じことだ。

 

この人はぼくのことを”お洒落”だとは決して思っていないけれど、そう思っている程で入れたフォロー。

その女性自身、そもそも雰囲気から”お洒落な人のそれ”が漂っていたので、上からのフォロー。ぼくは何も言えない。自分より、レベルが上の人間だから。

 

僻みではなくて、思っていることをただ正直に書くと、正直、モテる人間が皆、抜群にお洒落かと言えばそうではない。

顔が格好良くて、”ある程度”は身だしなみにを気を遣っていれば、それで男はモテるんです。

その”ある程度”は、守るべきラインかもしれない。そこを超えたらもう、それ以上はもう趣味でしかないんですよね。

圧倒的なまでに基準ラインを超えたところで、それに比例してモテるかと言えば、決してそうではないんです。

 

ぼくは洋服を、自分が好きなものとして、趣味として楽しんでいる身。

それが高じて紗倉まなさんのTシャツを着たり、背中に大きく「知られてたまるか」なんて書かれたTシャツを着ていたりすれば、もう逆にモテません。

 

でも趣味でそれを楽しんでいるんだから、そういう服が好きなんだから仕方ない。

だからといってそれを言い訳に彼女ができない、とか言い出したら、その瞬間がぼくの終わりだなとは思いますけど、そんなことはしていないぞ。

 

”お洒落”って、よく分からなくなってきますね。人から見てお洒落なものと、ぼくから見てお洒落なものは絶対に違う。

人から見たそれに基準を合わせて服を選ぶなら、ぼくのそれは楽しくない。もう、趣味ではない。

あくまでもぼくが格好いいと思うものを、ぼくが貫き通していくまでです。

キャリアの長いミュージシャンが、売れきった後で、「俺が作るこれは売れなくてもいい」と、自分が本当に好きな音楽を作り上げるのと同じように。

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いわはし

もうすぐ30歳になるので、うかうかしていられません。