人と自分を比べても意味がない。戦うべきは他人じゃなくて自分自身だ

最近、漠然と思い続けていることがあります。

人はすぐに落ち込んだり悩んだりするけれど、その原因は全て「自分を人と比べる」ことにあるんじゃないかと思うんです。

 

パッとSNSを開けば、他人の華やかな生活の一部が切り取られて投稿されている。

まるでそれが自分の価値の全てかのように、「フォロワー」という数字がアカウントには付いてくる。

 

自分の投稿に「いいね」が付かない。

他人の投稿やそれっぽい言葉には、「いいね」がたくさん付いている。

 

そんな状況を見て、まるで自分の投稿にいいねが付かないと、その呟きには、発信した自分には価値がないように思えてしまう。

「Twitter」という、今流行っているSNSでの話ですが、あまりにも色々なことがハッキリと数値化されてしまいます。

数の多さで人と自分を比べてしまう。人と比べて、劣っていれば自分には価値がないものだと思い込んでしまう。

 

「SNSをやっている人に、本当に幸せな人はいない」

あるとき、ある番組を見て耳にした言葉でした。

 

「SNSは自分をアピールする場所」

これもまた、別の人が言っていることでした。

 

「SNSなんて、自分の”いいところ”だけを切り取って、脚色して自己アピールをするためにあるものだ」

ぼくはそう思っています。みんな自己アピールがしたい。

自分が人より上なことを、人生を楽しんでいることをアピールして、自分をよく見せたい。

 

自分をよく見せたいという願望は、ずっと前から人が持っている感情であり、本能でもあるので仕方のないことだと思います。

ただ、SNSのアカウントを持っているとなれば、そこは受け入れた上で「ここはアピール合戦大会」だと思うしかない。

 

自分も自分のことを良く見せたい。アピールしたい。その代わり、他人の投稿もそういうものだと思って受け入れる。

そうじゃないと、いつまでも自分と人を比べるばかりで、自分が劣っていると考えては落ち込むことを繰り返すばかりになってしまいます。

 

なんて色々と書いてきましたが、小さな世界での話をグタグタと書いている時点でくだらないな、とも思ってしまいますが。

だってやっぱり、SNSなんて本当に幸せな人は、人と自分を比べようと思っていない人はやっていないものなんですよ。

 

言い訳っぽいですが、ぼくはブログを始めるまではSNSのアカウントをひとつも持っていませんでした。

学生の頃に作ったことはあったものの、見栄の張り合いに疲れる。こんなことをずっとしていたら自分がクソになる、と思ってアカウントを消しました。

 

今でもSNSなんかいつでも辞めてやろう、と思っています。

が、ブログを書いていると少しでも記事を読んでもらうために、人と出会うために、と考えてしまって、なかなかアカウント削除にまでは踏み切れません。

思い切って辞めてみてもいいとは思いますが、いくじなしなので勇気が出ないんですよね。

 

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人と自分の人生なんて比べるものじゃない

MBさんの『幸服論』に、奥田英朗さんの『ララピポ』

最近立て続けに読んだ本は、意図せずとも「人と自分の人生は比べるものじゃない」と、読み終えたぼくに思わせてくれる作品でした。

 

正確には、最近のぼくは漠然とそんなことを思っていたからこそ、近い内容の本を読んだときに自然とそんな感想が出てくるのかもしれません。

本を読んで自分は何をどう感じたかを言語化すべく、読書アプリを使って読み終えた本の感想をすぐにアウトプットするようにしています。

ただ読むだけじゃない。本を読んで、自分が思ってことを言語化する。

自分の考えていることや、気持ちをより明確にするための方法。読書はそういうものだと思っています。

 

MBさん著の『幸服論』の内容を要約すると、「人と自分の人生は比べるものじゃない。自分にとって”何が幸せか”という指標を持っていれば、他人のそれに気持ちを揺さぶられて落ち込むこともない」といったもの。

 

奥田英朗さんの『ララピポ』の内容を要約すると、「誰もが自分をいちばんだと思って生きている。人間はみんな楽して人より上にいたいから、自分に都合がいいように人を下に見て生きる」といったもの。

 

そんな風にぼくは感じました。

『幸服論』はファッションの本。ただ、服好きなぼくとしては、ファッションに求めるものが最初のワクワク感からは徐々にズレていく感覚も分かって。

洋服に興味を持ち始めた頃こそ、新しい自分に出会えたことにワクワクを感じるものですが、いつからか、そこでも周りと自分を比べるようになる。

 

「あいつより俺の方がおしゃれだ」「あいつより俺の方がいい服を着ているから格好いいし、イケているはずだ」

その思考にハマると、最初こそ「自分に自信をつけるため」「女の子からモテるために」と思ってファッションにこだわり始めたとしても、目的がズレてくる。

 

いいブランドの服を着て見栄を張ること。そこで人と見栄の張り合いをする。

本当にくだらないし、馬鹿みたいだなと思うんです。でも、服が好きな人にはそういう類の人間が一定数は絶対にいて。

 

何を隠そう、ぼくもそうでした。大学生の頃のぼくもそうでした。

他の服好きよりもいい服を着ていること。高い服を着ていること。それが、比べたときに自分が上であるための条件だったんです。

 

今のぼくにとって洋服は、自分が楽しむためのもの。家を出るときに、街を歩くときに、自分の気分を上げるためのもの。

自分の心を躍らせるためのもの。ワクワクするためのもの。ただそれだけで、それ以上では全くありません。

 

高級ブランドの服を着ている人を見たり、コーディネートが上手で「おしゃれだな」と思う人とすれ違っても、劣等感を感じることは減りました。

なんせ「みんな違ってみんないい」と思うようになったから。あの人にはあの人の、自分には自分の良さがある。

だから、そこを突き詰めていよう。人と比べることなんてせずに楽しんでいよう。

どうせ、羨んだ場所に立ったとしても、ぼくはきっとないものねだりを繰り返すんだから。

 

今さっき読んだ本。奥田英朗さんの『ララピポ』

登場人物はみんな、自分のことは棚に上げて人を小馬鹿にしながら生きている。

楽して人より上に立つために、人を下げることで自分を上げる。

 

人生に希望を持てなくなった人たちの、努力をして”自分が上に上がる”ことを放棄した人たちの物語。

腐ってもこういう人間になっちゃいけないな、と読み終えてぼくは、強く思いました。

 

考えることをやめると、ぼくだってすぐにそういう人間になってしまう。なってしまった経験も、その実感もあります。

そんな人間にならないためにも、人生、希望を捨てちゃダメだなと思いました。

 

「俺も頑張ればできるんだ」と思い続けること。その気持ちをなくしたら、一気に他人を馬鹿にするだけの人間になってしまう。

そうならないためにも何か目指すもの、目標を持つべきなのかもしれません。

 

そして人と自分を比べないためにも、「自分はこういう生活ができれば幸せだ」と思える、自分だけの指標を持つべきです。

掲げた目標に向かって走れるように、努力を放棄しない生き方を続けていかなくてはなりません。

 

自分と人を比べて生きることは本当に仕方のないことだと思うから。

そんなことをしても自分を嫌いになるだけで、他に何も生まれないと思うから。

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

就活でアピールできる特技として格好いいことを言うため、大学3年生の夏にブログを始める。結果、40社受けて内定がゼロだったため、やけくそで新卒ながら”プロブロガー”になった23歳。ブログの広告収入で生計を立て、自由な毎日を過ごすも、自分が本当にやりたいことは何なのかが分からずに彷徨っている。洋服が好きで、ファッション専門ブログも運営しています。 ▶︎いわたの偏愛コレクション
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