人間力カーストで人を測る自分の卑しさ

ぼくは友達がめちゃめちゃ少ないです。日頃、自分から誘って会える友達って5人もいないくらいだと思います。

小・中学生の頃はそんな感じじゃなかった。高校生の頃もそんな感じじゃなかった。大学生になってから、4年間のほとんどを1人で過ごしていました。

高校まで有り続けていた、クラスっていうコミュニティーの偉大さを知りました。そういう縛りがあれば、自然と誰かと仲良くなれる。

大学生になるとそれがないので、良くも悪くも人付き合いをしようとしなくなりました。あの、独特のワイワイした感じがどうしても苦手で嫌だった。

サークルにも入っていたけど、大人数の飲み会とか、すごく苦手で半年で辞めちゃいました。軽音サークル。

 

でも大学で友達がいなかったことを特段悲観的に思ったことは一度もなくて、1年が経った頃からはちょっと快適さすら覚えるようになっていました。

友達に時間割を合わせたりすることもなく、好きな授業を好きなように取る。そんなことをやっていたら、3年生の後半には単位を取り終えてあまり学校に行かなくなりました。

 

ただ最近になって、大学を卒業してコミュニティーも何もない個人事業主として生活していると、改めて「俺って本当に友達が少なかったんだな」と思うことが少しばかりあります。

どうしてこんなに少ないのか。ちょっと考えてみると思い当たる節があって、それが原因のひとつなんじゃないかと思っています。

もうめちゃくちゃ性格が悪いんですけど、ぼくには出会う人全てをスクールカーストのような物差しで測る悪い癖があるんです。

スクールじゃないから言い方を変えると、人間力カーストです。

 

年齢が上か下かは関係なく、出会った人全てに対してぼくが心の中で勝手に当てはめます。

それがぼくよりも上だと思ったらもう、相手が何を言っても謙遜するしかないと心底思っている。めちゃくちゃ従順に、言っていることを信じます。

一方で下だと判断した人の発言は、何を言っていても大体信じない。仮に何かを言われたとしたら、自分の目で見て確かめでもしないと納得していないんです。

 

ただ人間力カーストと、人として好きか嫌いかっていうところはさほど関係していません。

嫌い=下に見てるって訳じゃなくて、ぼくよりも圧倒的にカーストが上だから大きく結果を残せる訳で、そうやって活躍している姿を見ていると悔しくなってしまったりすることもあったりして。

そういうときって自分よりも確かに人間力が上であることを認めた上で、悔しいなって思ってしまいます。こうやって考えると、性格は悪いけど実力主義な心の中なのかもしれません。

 

ただ、最初に人間力カーストを下だと判断した人でも、何か大きな成果を成し遂げたり、いわゆる立派な肩書きが増えたりすると思う。

「あっ、この人は俺より全然上だった。俺、全然見る目がなかったじゃん」

かといって媚びるようなことは決してしない。それは人間力カーストがぼくより上の人にも、下の人にも共通して絶対にしないと決めていることだから。

ぼくは人に媚びることがめちゃくちゃ嫌いです。また、明らかに媚びている人を見ているのもちょっと気持ち悪いと思ってしまう。

どんな人であろうとぼくは、独立した人間同士としか思ってなくて、それ以上でも以下でもない。

ただ、心の中で無意識のうちに人間力カーストを作り上げて、相手がぼくより上か下かを初対面のうちに判断してしまう。

 

ここまで書いていて我ながら、なかなか最低な人間だと思っています。

そう思ったのは、ぼくがふとした瞬間に読みたくなる一冊の本を最近読み返したからなのでした。

 

『嫌われる勇気』アドラーの哲学を対談形式で分かりやすく伝えてくれる、大ヒットした本です。文中にあった一説に心臓を撃ち抜かれたような気持ちになって。

 

”年齢に関係なく全ての人間関係を上か下かではなく、横の関係で構築しなさい”

一語一句覚えている訳じゃないので正確ではありませんが、文章のニュアンスはこのままです。

年上だから尊敬するとか、年下だから舐めてもいいとか、そういう次元じゃなくて、全ての人と自分を対等な関係だと考えれば人間関係は上手くいく。

アドラー曰く、人間が抱える全ての悩みは対人関係から生まれるとのことでした。この辺りは説明すると長くなるので省略しますが、読めばきっと納得して頂けるはず。

 

ぼくは前述したような人間力カーストを心の中で勝手に構築している訳ですが、それって今までも「こんなこと考えてるのって絶対性格悪いよな」って思っていました。

それを、この一文に触れて改めてクソ野郎だなって思い直しました。

全ての対人関係を対等なものとして考える。年上にも敬語を使わないとかそういうことじゃなくて、心の中では人間誰しも対等なんだと考える。

年上を舐めるようにするとかそういうのじゃなくて。なんていうのかな、同じ人間って生き物なんだから、そこに優劣はないって考えるそれだけのこと。

 

『嫌われる勇気』はもう何度か読み直しているのですが、今回はその一文がとても胸に突き刺さって。本って、何度も読み返すものなんだなとも思った瞬間でした。

読むタイミングが違えば感じることも違う。だから、同じ本でも直感的に何か不思議な魅力を感じたものは不定期にでも読み直すものなんだなって。

 

つまるところぼくは自分の中で勝手に人の優劣を判断する、めちゃくちゃ性格の悪い人間力カースト制度を撤廃したい。

どんな人とでも対等な関係を築いていこうとする、そんな人間になりたいなって思った話でした。人間力カーストを心の中に持っている自分がとても卑しいと思った。

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

プロブロガーとして生きています。就活中、40社受けて内定がゼロだったことをきっかけに新卒で独立した23歳。コーディネートよりも作りを愛でるタイプの洋服オタクです。
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