憧れより共感の時代になってきた体感がある

あまりの一人の寂しさに、少し長めに実家に帰ってきているいわたです。

一人暮らし、仕事柄あまり人に会わず、彼女もおらず。もともと一人が大好きな性格で、シェアハウスとかには多分住めないタイプの人間なので、始めた当初は万々歳でした。

しかしそんな生活も1年半くらい続けていると、けっこう寂しくなるものですね・・・。色々な”フリーランスの指南本”で孤独との戦いの辛さがピックアップされる理由もわかってきました。めちゃくちゃ寂しいです。

用もなく友達を家に呼んだり、無駄に銭湯へ行ったりカラオケに行ったりしてそんな寂しさを紛らわせていましたが、ついに限界が来て実家に避難。

平日は両親も基本的に仕事、弟たちも仕事に学校で家にいないのですが、その間は一時的におばあちゃんの家から預かっている犬と、ぼくが高校生の頃に家族になった猫がいます。

いやあ・・・なんか、動物っていいですね。見てるだけで癒されます。あと、犬ってどうしてあんなに人の手を舐めるんでしょうか。

 

そんなこんなで実家にいつつ、たまに一人暮らしの家に戻る(メルカリに出していたモノが売れたときとか)ぼくはそこで何をしているかというと、ほとんど何もしていません。

それこそ1年くらい前には「新卒でフリーランスになったんだ」と意識高く意気込んでいましたが、最近はその頃の勢いを欠片も感じられません。

そんなに周りを見ているつもりもありませんが、どうしても周りって気になってしまうもので。同じような仕事をしている人たちと自分を比べては、「こんなんじゃダメだ」と思い続けてきました。

しかしここ最近はついに意識を高く保つことに疲れてしまって、今までそれをアピールするかのように呟いていたTwitterにも、本当にただの”呟き”としか言えないような言葉しか残さないようになってしまいました。

いやもう、ついてけない。いよいよ限界が来たっぽいわ。そう思って、少し前まで意気込んでいた、Twitterのフォロワーを増やそう作戦を断念した瞬間です。

その瞬間からジワジワとフォロワーさんが増えるようになっていく・・・という。

 

いやもう、そんなにフォロワー数とか気にしなくなっちゃったんだけど。それも本当に呟きとしか言えないような呟きを見てフォローするってどういうことか。

確かにぼくは半年くらい前にたまたま自分に対するアンチ記事を見つけて、そこにあった「あいつは会社で働いたこともなくフリーランスをやってるのに、そんな奴の人生論のどこに説得力があるのか」

という文章に、自分へのアンチテーゼながらも「いや、本当にそうだよな」と心底納得してしまった経験があります。

余談ですがそこには「働いたこともないくせに転職サイトのアフィリエイトで生活しやがって」とありましたが、それは違うぞ。

確かに一瞬、お金に目が眩んで転職系のアフィリエイトに手を出したことはあるけれど、あまりに説得力がなく発生もしないためすぐに辞めちゃいました。

 

こうして独立しながら自身でブログを書いている人の多くは、同じように会社からの独立・自由な時間の獲得を目指している人に対しての憧れになるのかもしれませんし、そうあるべきなんだと思います。

でも最近になってぼくは、性格的にも生い立ち的にも、自分は明らかにそっちのキャラクターじゃないと気付きはじめました。

自由な時間があれば”好きでたまらない仕事”をする人がいる一方で、確かにぼくもブログを書くことは好きだけど、実家に帰ってくると1週間もずっと犬猫と寝ることしかしていないぼくは、明らかに意識が低い。

この記事を書いていて、久々に自分がテレビを見る、本を読む、食べる、寝る以外の行動をしているな、と思っています、偉い。

 

で、その方がTwitterのフォロワーさんだって増えるという不思議な現象。これってもう、分かりやすく今の時代の流れとして憧れよりも共感を多くの人が求めているんじゃないかな、と思うようになりました。

確かにぼくも「あの人って格好いいな、ああいう風になりたい」と思う経験もありましたが、最近はもう「憧れた人と同じようにはなれない」と考えるようになっていて。

なんて言ったって自分とその人は違う人間だし。それは屁理屈っぽいので他を挙げると、文化が発達してからそれなりの時間が経った今、ある程度の種類の人間は世の中に出尽くした訳です。

だからそこと同じものを目指してもただの二世になってしまうから、いっそのこと目指すことを辞めてしまおう。それで多様性のある今の世の中が作られつつあると思うんですね・・・。

憧れの人になることは疲れる。し、同じ人間にはなれない。そこに魅力を感じる人が一人もいなくなるなんてことはないと思いますが、対して共感を求める人口が増えている感覚があります。

 

ぼくの例え話にしたって、音楽が大好きで特に歌詞を意識する派として最近は、少し前まですごく好きだったUVERworldの曲をあまり聞かなくなってしまいました。

あれっていわゆる憧れの音楽だと思うんですね。歌詞には共感とか励まされの部分が大きいとしても、根本的にはやっぱり「俺もTAKUYA∞みたいな男になりたい」っていうのが大きい。

もちろん当時のぼくにも、あんな風にやりたいことをやって目がキラキラしてる人間になりたい、と思っていた節はありましたが、今はあんまりなくて。

ふっと冷静になって考えてみると、ぼくとTAKUYA∞って全く違うタイプの人間なんですね。だから、よっぽどのことがない限りああはならないだろうって。

 

そんなときに出会ったバンドがトリプルファイヤー。好きで今さっきも聞いていたのですが、ぱっとまとめてしまうと歌っている内容はそのほとんどがダメ人間の日常なんですね。

例えば「野球選手になるために」という曲。

題の通り野球選手になることを夢とする主人公が「野球選手になるためにはいい筋肉が必要だ。だから、毎日いい肉を食い続けなきゃいけない。

いい肉を買うためにバイトのシフトを増やさなきゃいけない。

バイトのシフトを増やすためには職場の人間関係を円滑に保つ必要があるから、いい洗剤でユニフォームを洗って常に清潔でいなくちゃいけない」

と考える、いわゆるダメ人間を歌った歌です。本当に野球選手になりたいなら、素振りを続けるところから、それも今すぐ始められることが最短距離なはず。

でもそれをしない。ここにぼくは「主人公はダメだなー」とか思いつつも、けっこうな共感を覚えてしまうんです。

だって主人公だって絶対に、野球選手になるためには素振りをすることが一番の近道だって分かっているはずで。それでも遠回りをしてしまうのは、単純に面倒臭いことから逃げたいからなんですよね。

聞いているとつい笑ってしまいますが、実は同じようなことをしている人ってこの世にごまんといるはずです。

 

ぼくはそこに共感してしまう。ああ、すごいわかるなーってなる。今まで憧れの対象があって、その人と自分との間にはものすごい距離があったけど、共感の対象とは同じ圏内にいる気がしてくる。

となると、遠いところを目指すよりも、自分が今いる場所からそれなりに頑張ればいいじゃんって思うようになるんです。生まれ変わることを望んで憧れを追い求めるよりも手軽だし、なにより肯定感がある。

なんか無理して頑張らなくてもいいか。ぼくはぼくなりにやればいいんじゃないの。って思うようになります。さすがに曲を聞いたままに同じ生活をしてるんじゃ、少しまずいかもしれないけど。

 

そんなこんなで自身の気持ちにも変化が起こり始めたことから、いよいよ憧れよりも共感にも肯定感を感じられる、ぼくみたいな怠け者にも生きやすい世の中になり始めているのかな、って感じがしました。

きっとトリプルファイヤーの音楽はUVERworldのように東京ドームを満員にするものにはなっていかないと思うけど、世の中の全員がそこを見る時代じゃなくなった。

ひとつのモノに注目が集まって大きくなっていくんじゃなくて、同じ価値観を持った小さなコミュニティーがたくさん存在する時代になっていくんじゃないでしょうか。

みんな違ってみんないいって、そういうことだと信じて、ぼくは今日もあんまり無理をしないように生きていきます。

 

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

プロブロガーとして生きています。就活中、40社受けて内定がゼロだったことをきっかけに新卒で独立した23歳。コーディネートよりも作りを愛でるタイプの洋服オタクです。
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