気付いてしまった。誰より真っ当で在ろうとすれば、誰より虚しくなることに

先日、西加奈子さんの『サラバ!』という小説を読みました。

西さんの作品を読むのはこれで3作目で、最初のきっかけは近所で行われていた古本市で『さくら』を手に取ったこと。

それから『漁港の肉子ちゃん』を読んで、そして『サラバ!』

 

震災で津波の被害に遭った宮城県の女川町をモデルに進むその物語を最後まで読んだとき、ぼくはあまりの衝撃に家を飛び出して新幹線に乗りました。

そして女川町へ足を運び、モデルとなった焼肉屋さんにも行ってきた。いち日本人として、2011年の東日本大震災は絶対に忘れちゃいけないこと。

そんなことをぼくに強く感じさせてくれた『漁港の肉子ちゃん』をはじめ、西さんの作品には、読んだ人の心にとてつもなく強烈な何かを訴えかける強い力があります。

 

今回、ぼくは『サラバ!』を読んで。上下合わせて700ページほどある作品なのですが、さらっと読めてしまいました。

物語が面白いのはもちろんですが、いかんせん内容が他人事には思えなかった。まるで自分のことのように思ったからです。

 

噂では聞いたことがありました。本を読んで、『主人公はどうしてぼくの気持ちを知っているんだろう?』と感じる経験を。

今回は初めて、そう思わずにはいられないほどに、心境がリンクしました。

この作品を読んでそう思うのはきっとぼくだけじゃないはずです。時代的に、今の日本に生きる人なら、その多くが共感してくれるのではないかと思っています。

ぼくが『サラバ!』を読んで気付いたこと。それは、いつだって真っ当に在ろうとしている自分が、誰より虚しい人生を送っているということでした。

 

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人は周りの環境に影響を受けながら育っていく

この記事は、ぼくという人間が西加奈子さんの『サラバ!』を読んで書く読書感想文であり、自分の考えを書き綴るものです。

ネタバレをしない程度に、作品のあらすじにも触れておきたいと思っています。

 

上下2冊から成る物語である『サラバ!』では、上巻で主人公の歩が生まれた瞬間から大学生までの生い立ちを。

下巻では大人になってからの歩を、そして彼が大切なものに気付く物語のラストまでが描かれています。

 

2冊を通して読んでみた感想として、まずぼくが抱いたそれのひとつとして、生まれ育った環境が人に与える影響は、とてつもなく大きいということでした。

なにかと騒がしい歩一家の中で、彼は自然と、そして無意識のうちに波風を立てないように生きる道を選びます。

両親が喧嘩していたら、それ以上に物事を大きくしないように自分の気配を消す。姉が暴れていても、同じように気配を消す。

 

騒がしい家庭環境の中で育った彼には周りを反面教師にする癖がつき、そのお陰もありとても大人しい男の子として育っていきます。

とても”いい子”として育っていきます。上巻には、彼の生い立ちと、いつだって彼の側にあった環境が描かれている。

 

いちばん真っ当であろうとする人生は誰よりも虚しい

そんな彼が大人になってどうなるか。それが、物語がラストへ向かっていく下巻で描かれています。

いつだって波風を起こさないように生きてきた歩。

そんな育ち方をしてきた歩はやっぱり、何をするにしても自分の意見を持っていない。そして、人の目を気にする。

奔放に生きる姉や母親を見ては、心の中で”自分はああならないでおこう”と決意する。そして”好き勝手やりやがって”と軽蔑する。

そう、一見して側から見れば真面目な青年だったんです。顔がいいお陰で高校・大学生の頃はモテてもきた。真面目で何の問題も起こさない”いい子”だったんです。

 

一方でその生き方は、他のどんな誰よりも虚しい生き方だったことに気付く。空っぽだったことに気付きます。

一生懸命に、精一杯に生きている人を横目で見ては軽蔑しながら生きてきた彼には、心の底から夢中になれるものがなかったから。

「自分はこれが好きだ」と言える対象がなかったから。何をするにしても自分の意見がなかったから。

誰よりも真面目で真っ当な人間でいようとし続けた歩のそんな人生は、実は誰よりも虚しいものだったんだと、反面教師にしていた姉から教えられて気付きます。

 

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人を批判するばかりなら、自分の内側には何もない

ネタバレをしないようにあらすじを書くとなれば、どうしても抽象的な文面になってしまいます。

でも、それを具体的に表現できるだけの、思い当たる節がぼくにはたくさんありました。

 

主人公の歩は、それぞれ自由奔放に生きている家族と、その家庭環境の中で小さい頃から育った。

特に姉は反面教師にしながら、暴れまわる彼女とは対象的に彼はいつだって”いい子”でいようと思っていた。

小さい頃から意識的にか無意識にか、そんな風に生きるようになって。そんな習性は同じ人間である限り、大人になったところで簡単に抜けるようなものじゃなく。

 

恋人と一緒にいても、自分の意見を前に出すことはなく。何かに精一杯な人を見れば、「大人しくしていればいいのに」と普通を装っている。

どれも人の目を、周りの目を気にするがゆえにやってしまうことですが、今の時代を生きる日本人のぼくらの場合、多くの人がこの習性を持っていると思うんです。

それはぼくだって、例に漏れずそうでした。『サラバ!』を読んでいて、歩と自分がリンクした瞬間というのが、確実にあった。

 

ぼくだって、そう。例えば好きなバンドのライブに行ったときだって。

周りにいる人を見て「あの歳であんな格好をするなんて。あんなに両手を上げて踊っているなんて、みっともないよ。もう少しマシにできないのかな」

そんなことを、心の中で思ったりする。

 

今日だってそうだった。デパートのトイレで男子高校生と並んで手を洗えば。

「そんなに鏡を見て、自分のことが格好いいとでも思ってるのかな?身の程をわきまえておけよ」

そんなことを、心の中で思ったりする。

 

誰かがSNSに投稿しているのを見たときだってそうだ。

「そんな投稿をして、構って欲しいのが見え見えだよ。すごく図々しくて気持ち悪い」

そんなことを、心の中で思ったりする。

 

そう、それが、そう思える自分こそが誰よりも普通で、誰よりもマシな人間なんだって、23年間思い続けながらここまで生きてきた。

でも、この作品を読んで気付いてしまったんです。実はそれが、そんな人間こそが最も虚しい人間なんだって。

何にも夢中になれていない虚しい人間なんだって。空っぽで、実は、誰よりもみっともない人間なんだって。

 

周りの目を気にするような育ち方をしてきた。周りのことばかりを気にしてきた。そんな人生を送ってきたから、実は”自分”の中には何もない。

”自分”は何が好きなの?”自分”は何をしたいの?

何に対して熱狂的になれるの?周りの目を忘れるくらい、のめり込めることは持ってるの?

 

答えは、どれもノーです。”自分”を形成する要素が、何かが、軸が、芯が、信じられる何かが、内側には何もない。

何にも熱狂できず、何にも感動できなくて、何をするにしてもどこかで周りの目を気にしている。

 

ぼくは”人生を送る”って言葉がそんなに好きじゃなくて、ブログを書くにしても、なるべくいつも、人生は”生きる”ものだと書いてきたつもりです。

”送る”って何か、そこに何の意思もなく流れていっちゃいそうだから。

 

でも、そんなぼくも自分の人生を”生きて”はいませんでした。”送って”いました。23年間、自分の人生を送りまくってここまで来ていました。

誰より真面目であろうとして、真っ当な人間であろうとして、23年が経った。そんなぼくの、心の底から熱狂できるものって?

我を忘れて、周りの目なんかそのずっと前で忘れて、本当に好きだって言えるものは何?

 

なかった。振り返ってみれば、そんなものがぼくにはない。そう、だからこうやって今も、虚無感と一緒に毎日を”送って”いるのかもしれません。

 

ぼくのSNS。開いてみると、いちばん上にあったのはこんな投稿でした。

日々思っているのはこんなことばかりで、ぼくの内側には何もないことを示してる。虚無感と一緒に生きている証拠かのように。

 

誰より、誰よりも真面目に、”真っ当な人間”でいようとした。いつだって、そう在ろうとしていました。

思えばぼくは学生の頃から目立ちたかった。本当は目立つことが好きだった。好きだったけど、得意じゃなかった。

自分から前に出ていくのは恥ずかしいし、図々しくて汚らしいことだと思ってた。

 

どうやったら目立てるんだろう。高校生の頃、自分から目立とうとしなくたって、テストでいい成績を取れば、いい順位を取れば自ずと目立てることが嬉しかった。だから勉強を頑張ってみたりもした。

学年で1位の成績を取れば、他のクラスからも「あいつが今回の1位だったらしいよ」なんて噂されることがあって、目立てている実感があった。それが嬉しかった。

 

その一方で、定期的に行われていた学校の服装検査では至って真面目に振る舞った。

校則で禁止されているのにピアスをしたり、髪を染めたり、シャツのボタンを何個も外していた人たち。

彼らを横目で見ては、「どうせ怒られるのに、何でそんなに無駄な主張をするんだろう?」と思っていました。

 

でもそんな人間は、ぼくは。誰よりも虚しい人生を”送って”いる。ぼくは、この作品を読んで、そんなことについに気が付いてしまいました。

 

好きなバンドのライブに行ったとき、年甲斐もなく一生懸命になってメンバーの名前を呼んでいたおばちゃんも。

踊っていたおばちゃんも。叫んでいた、年甲斐もなく濃い化粧をしたお姉さんも。

 

デパートのトイレで、手を洗いながら手元じゃなくて自分の顔ばっかりを永遠に見てた高校生も。髪型ばっかり直して、いつまでやってんだろうって思ってた彼のこと。

 

そんな人たちの方が、ぼくの何倍も何倍も自分の人生に対して一生懸命で、真面目で、ぼくなんかとは比べ物にならないくらい、ずっと真っ当な人間だったんだ。

ぼくよりずっと、自我をむき出しにして生きてきた。人間らしく真っ直ぐに生きてきた。

”いい子”よりも世話の焼ける子の方が学校でも先生から可愛がられていたりして。学生の頃、そんな記憶がありました。

自分の信じるものに素直な人の方が、人間としてずっと魅力的なんだろうな。

 

作品の中で、歩のお姉ちゃんは言っていました。

「あなたも、信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。」

それが、自分の人生を熱狂して生きるための軸になることも。

 

あのおばちゃんには、周りの目なんて気にならなくなるくらいに大好きなバンドがある。

男子高校生にだって、もしかしたら彼女がいるのかもしれない。いなかったら、「モテたい」「自分をよく見せたい」って思う気持ちがあるのかもしれない。

それは紛れもなく、その人たちの信じるもので、自分の人生を熱狂して生きるための、ひとつの軸になる。

 

学生時代、ずっと学校でいじめられていた歩のお姉ちゃん。作中では奇天烈に思えた行動もすべて、そんな自分に人生を真っ当するための軸を探そうとしてのことでした。

今の彼女が見つけたそれは結婚。旦那さんとその愛が、自分の人生に正面から向き合って生きるために必要な軸になったのでしょう。

 

その対象は何でもいい。恋愛だって、宗教だって、好きな音楽だって、何でもいい。

周りの目が気にならなくなるくらい、自分の人生を熱狂して生きるための軸。それは本当に何だっていい。自分が信じられるものなら何だっていい。

 

作者の西さんがこの作品に込めた想いは作中にも出てきていますが、本でした。

本をいっぱい読んでほしい。そこにはまだまだ知らない物語がたくさんある。そして、もしかしたらそうして出会った本のどれかが、その人の軸になる可能性だってあるということ。

 

最初はただ小説を、物語を楽しむつもりで読み始めたのが『サラバ!』でした。

いつしか人生について考えさせられていて、自分がいかに愚かな人間だったかを、少しばかり知るきっかけを与えてくれて。

『サラバ!』は本当に素敵な作品です。やっぱり小説を、変なビジネス書なんかよりも読むべきだ。

 

自分だけが信じられるもの。人生の軸となるもの。自分と向き合って、自分の人生を”生きる”ための何か、軸。

”意識の高い”人たちの中には、「誰かのファンでい続けるなんて、他人に人生を捧げていること。それじゃ自分の人生を生きていない」とか言う人もいる。

でも、そんなのは放っておけ。

 

そう言う奴らだって、今までに絶対、誰かしらからの影響を受けながら生きてきたんだ。どこかに、その人だけの信じている軸があるんだ。

人が最初から、1人で生きられる訳なんて絶対にないんだから。

そんな何かに、ぼくらも頼っていい。自分の足で立てるようになるのは、軸を見つけたその先のことだから。その先で、1人で立てるようになればいい。

 

今までずっと人と自分を比べては、自分が誰よりも真っ当で真面目な人間だと思っていたぼくは、そんな軸を見つけるところから人生を考える必要がありそうです。

それは簡単なことじゃないけれど、気付けただけでもひとつの進歩。改めて、この作品に感謝したいと思っています。

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

就活でアピールできる特技として格好いいことを言うため、大学3年生の夏にブログを始める。結果、40社受けて内定がゼロだったため、やけくそで新卒ながら”プロブロガー”になった23歳。ブログの広告収入で生計を立て、自由な毎日を過ごすも、自分が本当にやりたいことは何なのかが分からずに彷徨っている。洋服が好きで、ファッション専門ブログも運営しています。 ▶︎いわたの偏愛コレクション
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