意味もわからず泣いていたときのこと

ジムのシャワー室で突然泣いてしまった。

11月も始まって、月初恒例の「今月こそは」を胸に朝からジムへ行った11月1日。

その後は友達と出かけて。

先月は何もやる気が起きずお昼に起き、何か食べては寝るだけの生活を続け膨らんだ顔と増えた体重を絞るため、炭水化物は抜きの食事を心がけると決めていた。

それなのに早速夜ご飯でラーメンを。

百歩譲って友達と一緒にいるときは、「俺、今は炭水化物食べないから」と嫌な奴にならないように、ラーメンを食べるのはまだよかった。

追加でライスを頼んでしまったのは、自分に甘いぼくのせい。

罰する意味も兼ねて帰宅後、朝と同じようにジムへ行って10kmを限界まで速いペースで走る刑。

夏頃までは1kmを4分で走れていたのに、サボりすぎたせいで今では5分に落としている。

そんな堕落も今日は許さない。月初のぼくは気合いが入っているから、1kmを4分ペース。

終えてシャワー室に入ったとき、ランニングマシンの共用スペースからぼくだけの専用スペースに移ったとき。

意味もわからず涙が出てきた。

だらしない生活を続けた、自分に甘い自分を醜く思ったこと。かつて楽々走れていた1km/4分ペースを辛く感じた自分に対する悔しさ。

それもそうだけど、理由はきっとそれだけじゃない。

楽観的なのか知らないけれど、家でこの記事を書いている今。ジムから家への10分間で、さっきまでどうして泣いていたのか、その理由はあまり思い出せない。

これまでにも何度かこうやって、すぐに忘れるぼくの性格は便利なものだと思ってやり過ごしてきたけれど、今日は記事に残しておきたい気分。

忘れて何事もなかったことにして、いつかまた辛くなって同じことを繰り返して、それでもまた忘れる。

笑ってしまうけれど、そんなのじゃいつまで経っても泣いてしまった理由はわからないままだし、これっぽっちも変わらない。

数十分前の感情を思い出しながら記事に書き残しておきたい。

 

会社に就職せず、大学を卒業してからはブログの収入で生計を立てると決め今もそうしているぼく。

組織に所属しないまま個人で活動を続けることには自由があるけれど、同時に自分のペースを作り上げることは本当に難しいと痛感している。

自由には責任が伴うってこのことなのか。

現にまだまだペースを作り上げても壊してしまうぼくは、先月は見事なまでに堕落した生活を送り、会う人会う人に「太った?」と言われるように。

このままじゃまずいと思って早起きをしてみたり、ジム通いを再開させるも長続きはしない。

それをしている前向きな自分を肯定してあげることは少しだけできるけれど、ブログで生計を立てるために繋がるとは全く思えていないからだ。

 

ブログだって、どんな記事を書いて何をすれば、どこへ方向転換すればいいのかを自分ですら迷っている最中。

よっぽど今まで自分の頭で物事を考えずに生きてきたんだなと思うと同時に、自分で選んだ道なんだからこれは試練なのだろうと思って立ち向かおうとする。

小さな脳みそで考えてみるも答えは出ない。正直、どうしたらいいのかがわからない。

それが辛くて、他にも何かが原因で抱えた辛い気持ちも晴れなくて、周りの誰かに相談したい。話を聞いてほしいと思う。

でも、そんな相談をできる人がぼくの周りには1人もいない。

それ以前にブログで生きていくと決めたのはぼくだ。それなのに辛い、相談に乗ってほしいなんて甘いと考えるぼくがいる。

就活を辞めてから大学を卒業する日が近くなるまで、実家では両親と顔を合わせる度に「就活を再開しろ」と言われてきた。

心配する気持ちからそう言うのは当たり前だと思うけれど、覚悟を決めたのにそう言われ続けたぼくはおかしくなりそうで、1人暮らしを早めて。

物件を決めて、両親には事後報告をした。半年以上が経った今は、「最悪、生きていればそれでいい」と思ってくれているのかもしれない。

今でも仲良くしてくれる友達はいるけれど、やっぱりそんなことを相談できそうにもない。

ぼくは人前じゃ絶対に泣けなくて、本当の自分で友達と人付き合いをしたことって実は一度もないのかもしれない。

一緒にいれば友達といるとき用のぼくが出てきて、悩みごとなんてひとつもないかのような明るい立ち振る舞いをする。

むしろぼくの方が誰かの相談に乗ることが多いのかもしれない。それはそれで嬉しいけれど。

友達と会えば気が楽になるけれど、それは1人でいるときのぼくがどこか奥底へ引っ込んで、友達といるとき用の能天気なぼくになるから。

別れればまた本当のぼくに戻って、なんだかんだで寂しい思いや辛い気持ちを抱えたままでいる。だから友達と遊ぶのは、一時的な麻薬のようなもの。

結局、誰にも本当の自分が抱えている辛いと思う気持ちだったり、モヤモヤしているこの感覚を相談することはできない。

それ以前にぼくは自分に甘すぎるから自分で選んだ道でつまづいているだけなのかもしれない。悲劇のヒロイン気取りだ。

自分の身に起こることは全部、例外なく自分のせいだと思って今は生きている。

だから、そうして生きることを決めた自分がただ弱いだけ。全部自己責任。悲劇のヒロインを気取るな。そう思うぼくもいる。

どこまでを誰かに相談してもよくて、どこまで自分が弱くて甘いのか。その境界線もよくわからない。

それ以前に本当の自分がそう思っていることを相談できる相手もいない。

これも、人前で泣いたりしたら絶対引かれるだろうな、と思って弱い部分を全部隠しながら人付き合いを続けてきたぼくのせい。

結論、全部自分のせいなんだよ。そうやって答えを出して、辛い気持ちが襲ってきたらいつも寝て逃げる。

それでもやり過ごせそうになかったら、ぼくの心の支えは今のところ好きなミュージシャンの音楽とお酒。

音楽を聞いて、お酒を飲んで楽しい気分になったところで寝る。

起きたときには大体を忘れているから、また何事もなかったかのように堕落した1日を始める。

でも、どこかで「このままじゃいけない」と気付く。早起きとジム通いを再開して、ブログも書く。

気付けばペースは崩れていて、また取り戻そうとしてジムへ行く。

自分に甘い自分を許せないのと、他にもたぶん色々な感情が混じり合って、意味もわからずシャワー室で涙が出る。

帰宅する頃にはそれも忘れて、お酒に溺れていた毎日よりは少しだけマシな毎日を送るようになる。

1人暮らしをするようになってからのぼくは、今までずっとこれの繰り返しでやり過ごしてきた。

誰にも何も言えないまま、何も変わらなくて、今日久しぶりにまた涙が出たことを思い出して。

これもきっと悲劇のヒロイン気取りだけれど、誰かに面と向かってこんなことを相談できないぼくは、ブログを通じて誰かに相談したいと思ったのかもしれない。

それで今、こうして記事を書いているはず。

たぶん、本当の自分を誰かに認めてほしいから。

会社で働いている人だって、絶対同じようなことを考えているはずだから、自分が特別じゃないことはわかっている。

こんな風に考えて思い悩むのが特別なことじゃなくて、自分だってごく普通な人間の1人だということはよくわかる。

それでもなんだか、記事を書いてみるとほんの少しだけ楽になったのかもしれない。ブログっていいな。

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

プロブロガーとして生きています。就活中、40社受けて内定がゼロだったことをきっかけに新卒で独立した23歳。コーディネートよりも作りを愛でるタイプの洋服オタクです。
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