誰だっけ?

先月から、毎月本を10冊読もうと決めました。それは少し前にお会いした方が「毎年、テーマを決めて何かを勉強している」と仰っていて、いいなと思ったから。

その方は、これまでに”今年は毎月映画を10本見る”とか、遊び感覚で色々な知識を増やしていくことを楽しまれていました。ちなみに去年はブッダについて学ぶ1年にされたそう。

 

映画も本も好きですが、どっちかというと自然に手を伸ばしていることが多いのは本だったので、ぼくは毎月10冊読むことに。

といっても実際は始めた先月の時点でさっそく5冊しか読めていなかったりして、毎日スケジュールが真っ白なのに何してるんだろうと思っています。もう毎月5冊でもいいや。

 

その5冊はできるだけビジネス本や自己啓発本じゃなくて、小説を読もうと思っています。それらを読んでもぼくには、学びはあっても変化がないことは分かっているから。

本は悪くなくて、ぼく自身が途中でその意識の高さについて行けなくなっちゃいます。読み切ったとしても、それで行動を変えるようなことはない。

 

でも、小説を読めば、登場する人物の数だけ人生があって、そこには学びだけじゃなくて共感だったりも色々あります。

実際、自己啓発本に書いてある行動はしなくても、ぼくは少し前に、1冊の小説を読んだことをきっかけに被災地へ足を運んだりして、よっぽど動いていました。

行動のベースに共感だったり、感動だったり、ぼくは心を鷲掴みされるような気持ちにならないと一歩も動かないタイプみたいです。

 

そうやって最近は小説を読んだりしながらのんびりしているのですが、というか他には何もしていないのですが、中でも衝撃を受けた物語がありました。

少し前に、このブログにも書いた西加奈子さんの『サラバ!』です。

 

小さい頃から大人になるまでずっと、自分の意思や意見を押し殺しながら、周りに合わせて生きてきた主人公のお話。

人からどう見られるか。こうすれば適応できる。それを考えることばかり上手くなって、いざ大人になってみると自分の手元には何も残っていない。

自分が大切にしたいものがなくて、自分にとっては何が幸せなのか分からない。どうしたいのかもわからない。そんな男性が主人公のお話です。

 

詳しくはぜひ、ぼくが書いた記事だったり、いちばんは『サラバ!』を読んで欲しいのですが、ぼくなりに内容を少しだけお話すると、そんな物語です。

 

ぼくはこの本を読んでから、いつまでもぼーっとした気持ちが抜けません。それは読み終えた直後より、それから1ヶ月が経とうとしている今の方が強くなっています。

物語の中では、先ほど説明したような主人公の姿を、彼の姉は「今の歩(主人公の名前)には軸がない。自分の人生の軸になる、大切な自分だけのそれを探せ」と言っていて。

読んだとき、ぼくはまるで、その言葉は歩じゃなくてぼくが直接言われたかのような感覚になりました。

 

それが日を追うごとに増していって、今は日頃から、ふとそんなことを考える瞬間が訪れたりします。

ぼーっと考えながら1ヶ月が経とうとしている今、これまで断片的に頭の中で浮いていたパーツを集めてまとめてみました。

 

これまで生きてきた23年間、自分ってどんな人間だったんだっけ?

そうやって考えたとき、ぼくの人格を形成するパーツは”人の影響”だったり、”人からどう見られたいか”だったりが大半でした。

今好きなものは、人の影響で好きになったものがほとんど。髪型だったり服装も、実は自己満足”している風”で、根底では”人からどう見られたいか”が大切なのかもしれません。

 

判断基準が人。自分の外側。

これまでの23年間、実は自分じゃあんまり何かを選ぶようなことはしてこなかった。全部、周囲の意見が大切だった。

そうなると、じゃあ自分って一体何なんだろう。というか、そもそも誰なんだろう。お前、俺って誰なの?

自分で自分がよく分からなくなってきます。むしろこうやって考えると、自分なんてほとんどなくて、実際には外見の1/10くらいしか占めていないんじゃないかと思います。

 

今着てる服は、本当に自分が好きで選んだもの?見栄を張ってとか、周りに格好良く見られたいからとかじゃなくて?

聞いてる音楽は、自分で選んで好きになったもの?人の影響じゃなくて、自分の感性で?

コンビニで買おうとしてるガムは、自分がその味を欲して、食べたくて選ぼうとしてるもの?CMで見て影響を受けたからじゃなくて・・・まで行っちゃうと、ちょっとオーバーな気はしますけど。

 

もう、どこからどこまでが自分の意思であって、判断であって、選ぼうとしているのか。考えるとキリがなくなって少し怖くもなってきちゃいます。

なんならこの記事のタイトルだって、音楽が好きな方に教えてもらって聞いているバンドの曲名だし。

 

でも古い記憶を呼び起こして、自分が小学生だった頃のことを考えてみても、ぼくにとっては”自分で選ぶ・決める”っていう行為はすごく勇気のいることだったように思います。

算数の授業を受けていても、自分で考えて選んで、これだ!って答えを出すのが怖かった。正解と違っていると恥ずかしいから。

そうやっていつからか、自分なりの答えを出しても、それをノートに書くことはしなくなりました。先生が答えを書くまでは。

答え合わせをした後で「やっぱり合ってた」って思いながら、黒板に書かれた数式を写す。そんな小学生だった気がします。

 

だから、そうやってぼーっとしてるのが先生にバレて、目立つ席に移動させられたときは結構怖かった。

「間違っててもいいんだから、君が考えた答えを言ってごらん」って言われても、違ってたら恥ずかしいし。

 

その頃から自分の意思で、考えで、何かを選んだり決めたりすることを、既に放棄していたのかもしれません。

ずっとそのままずるずる生きてきて、いつも自分の外側に答えを求めるようになって。

 

今着てる服は、聞いてる音楽は、食べたいものは。

本当に自分の意思で選んだものなのか?決めたことなのか?

 

ぼくは今こうして、大学を卒業してブログの広告収入でなんとか生計を立てていますが、それも尊敬している人の影響であることに間違いありません。

ただ、もしこれがどこかの会社に受かって、社員として働いていたら、きっとこんなことは考えていなかったと思います。

 

自分で、その意思で選ぶって何だろう?

こうやって考えられるだけ、すごくよかったと思います。むしろこう思い始めたところから、もしかしたら初めて自分だけの人生が始まったのかもしれません。

今後は選ぶもの全てに、「自分はこうしたいから、これを選ぶ」って、理由をつけられるといいのかもしれません。自分だけの。

いやあ、誰なんだろう自分って。

 

※サラバ!は単行本だと上・下の2冊構成。文庫版だと上・中・下の3冊構成になっています。お間違いのないようご注意ください。

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いわた (岩橋康太)

いわた (岩橋康太)

就活でアピールできる特技として格好いいことを言うため、大学3年生の夏にブログを始める。結果、40社受けて内定がゼロだったため、やけくそで新卒ながら”プロブロガー”になった23歳。ブログの広告収入で生計を立て、自由な毎日を過ごすも、自分が本当にやりたいことは何なのかが分からずに彷徨っている。洋服が好きで、ファッション専門ブログも運営しています。 ▶︎いわたの偏愛コレクション
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