好きで着ているのか。「変わってる」と言われたくて着ているだけなのか。

ぼくは洋服が大好きです。お気に入りの洋服は、着ることで自信のないぼくに自信を与えてくれる。ぼくにとって、武装するための鎧のようなもの。
今はただ、自分が本当に好きだと思える洋服を選ぶ、着る。買うときに少しでも迷う要素があれば、それは買わない。
 
ほんの3、4年前までは、そんな選び方はしていませんでした。
服屋に行って、買うか迷うような服があったとき。その服について、スマートフォンを使いながら調べて、着こなしている人のコーディネートを参考にして。
どうやって着るべきか、どう着たらお洒落に見えるのかを確かめて、その通りのコーディネートを組もうと考えていました。
 
そうしてまで買う服と、何もせずとも直感的に欲しいと思う服、ふたつの間には大きなギャップが生まれつつある現実にも気付いて。
前者の服は、なかなか派手なシルエットをしていたり、はたまた派手な柄をしていたり。とにかく、街中で見れば目立つもの。
一方で後者、これはぼくらしいアースカラーだったり、ゆるさがあったり、それでいて無骨な男らしさも見え隠れしていたり。
 
今思えば、前者の服は無理をして買っていた。自分に嘘をついて買っていたんだ、と思っています。
確かにそれらの服を着てみたい気持ちはあった。ただ、それが本当に好きで買っていたかというと、答えはきっと違うはず。
それらの服は、ぼくが目立ちたくて買っていた。人から注目されたくて、それがいちばんの目的となって買った服にすぎなかったんです。
 
その服を着ているぼくを見た人に「変わってるね」と言って欲しかった。
ぼくは、きっと目立ちたがり。ただ、自分の意見を人前で言える、前に出ていけるタイプの人間じゃ決してなくて。
じゃあどうやって目立ちにいくか。その方法は、人と違う行動を起こすことでした。
 
周りの人たちと違う行動を起こすことで、大勢の中で少数派になる。
少数派になることで、何もしなくても浮き彫りになる形で目立つことができる。だからぼくは、人と違うことをしていたいんだと思っています。
実際に人と同じでいることは、様々な局面において今でも嫌です。
多数派に混じったら、自分が自分でなくなってしまうというか。存在意義を感じることができなくなってしまうというか。
 
だからぼくは、意図的に人と違う行動を起こすことは今でもあります。
それでも、3、4年前の自分を、当時における服の選び方を振り返って見てみると、めちゃくちゃダサいなと思ってしまって。
それはコーディネートがどうこうじゃなくて、ファッションにおいてもそれを意図的に出してしまっていたぼくの姿勢が、めちゃくちゃダサいなって。
 
ファッションって、洋服って、自分が心の底から好きなものを選んで着て、楽しむもの。自分の気分を上げるために楽しむもの。
今のぼくは、大好きな洋服に対してはそんな考えを持っています。
 
それなのに、自分の好きな気持ちに嘘をついて、妥協してまで、人から注目されること、目立つことを目的に着る服を選んでいた。
これはもう、めちゃくちゃダサい。
 
「変わってるね」と言われたい。ただそれだけの為に、派手で奇抜な洋服を選ぶこと。
これは目的が違ってきている気がして。目立ちたいと思う気持ちを持っているのはいい。ただ、それをファッションに反映させちゃうのは、今のぼくの考えとしては違う。
 
目立ちたいと思うことが悪いと言っているんじゃなくて、好きでもないものを好きだと演じてしまう、その行為がダサいんだ。
服に限ったことじゃない。それが本当に好きでやっていること、選んだものならいい。
でも、演じてまでやっているなら、それって格好悪いことだよな。
 

お前が今、着ている服は本当に好きで着ているもので、自分の本心で選んだものなのか?
常に、そう問い続けていたいところです。見栄のために、目立つために服を着る、ダサい奴にならない為に。

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いわた

いわた

1994年生まれの24歳。大学在学中にブログを始め、卒業後はブロガーとして独立。主にファッション系の記事を書いています。
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